奈良市月ヶ瀬は、かつて十万株を超える梅の木と、山と川の風景が溶け合った景勝でした。しかし、それらの梅は村民たちが農作物として植えたものであり、長い間ほとんど誰にも知られることはありませんでした。月ヶ瀬を称揚すべき景観として驚きをもって「発見」したのは、当時の知識人たちでした。ことに、斎藤拙堂の『月瀨記勝』は、発刊されるやたちまちベストセラーとなり、月ヶ瀬は一気に観光地となっていきました。
この『月瀨記勝』は、当サイトで公開している鎌田梁洲の『観瀑図誌』等に先行するもので、漢詩文による紀行文流行のきっかけともなった画期的な作品です。
『月瀨記勝』は、乾・坤の二巻から成り、乾巻冒頭に月ヶ瀬の略地図と月ヶ瀬の景色を描いた図(八種)が掲載されています。乾巻の内容は、拙堂先生による紀行文「梅谿遊記」(一~九)と、紀行詩「梅谿十律」です。これに対して坤巻の内容は、梁川星巌、頼山陽、篠崎小竹ら、拙堂先生の友人たちによる梅に関する詩のアンソロジーとなっています。
当サイトでは乾巻の「梅谿遊記」(一~九)と「梅谿十律」のみを紹介しています。これらは拙堂先生の年上の友人・頼山陽が全編にわたって添削をしており、その添削内容が「賴山陽刪潤梅谿遊記」として残されています(『日本藝林叢書』第二巻所収)。当サイトでは「賴山陽刪潤梅谿遊記」も公開しました。頼山陽の添削のあとを見ると、思わず膝を打つところが多くあります。拙堂・山陽という当時を代表する二人の文豪の共同作業をお楽しみください。
2019年5月2日公開。