日本漢文の世界

 

月ヶ瀬梅渓(月瀬記勝)



1.『月瀬記勝』について

月ヶ瀬梅渓(斎藤拙堂碑) 日本漢文の世界 kambun.jp
斎藤拙堂碑(平成5年建立。大字月の瀬。)

 『月瀬記勝』は、作者・斎藤拙堂が34歳の文政13年(1830年)春、梁川星巌らとともに大和(奈良県)の月ヶ瀬に観梅に出かけたときの紀行文・詩と、附録(当時の詩人たちの梅に関する詩文集)からなる書物です。

月ヶ瀬梅渓(帆浦梅林) 日本漢文の世界 kambun.jp
月ヶ瀬梅渓の中でも有名な帆浦(ほうら)梅林

大室幹雄著『月瀬幻影』 日本漢文の世界 kambun.jp
大室幹雄著『月瀬幻影』(2002年、中公叢書)

 『月瀬記勝』は、名勝ブームを巻き起こした画期的作品として、日本漢文学史上に特筆されるものです。大室幹雄氏は『月瀬幻影』(2002年、中公叢書)において、この作品を「江戸シノワズリ」(chinoiserieとは中国趣味のこと)の代表的作品として取り上げています。私たちが『月瀬記勝』に興味を持ったのは大室氏の『月瀬幻影』を読んだことがきっかけでした。

月ヶ瀬梅渓 日本漢文の世界 kambun.jp
月ヶ瀬では各所で梅が咲き乱れる。

 私たちが『月瀬記勝』の原文を読むことができたのは、作者・斎藤拙堂の玄孫である斎藤正和先生のご厚意によるものでした。
 2008年、斎藤正和先生から『月瀬記勝』『拙堂紀行文詩』合冊の復刻本(2008年自費出版)を御恵与いただきました。この復刻本は、明治14年(1881年)に作られた明治版をもとにしたものです。明治版は嘉永年間に出版された原版をもとに、新たに版木を作ったもので、内容・体裁等は原版と同じですが、図版が黒一色刷りです(原版は多色刷り)。斎藤正和先生からいただいた復刻本の「梅渓遊記」を私たちの漢文勉強会で会読したのが、私たちと『月瀬記勝』の出会いでした。

『月瀬記勝』『拙堂紀行文詩』 日本漢文の世界 kambun.jp
『月瀬記勝』『拙堂紀行文詩』(2008年、復刊発行者 玄孫 斎藤正和)

『月瀬記勝』『拙堂紀行文詩』 日本漢文の世界 kambun.jp
この復刻本は明治14年(1881年)の版をもとにしたものです。

 私はのちに嘉永年間出版の原版も入手しました。原版には奥付がないため、正確な出版年月は分かりませんが、乾巻冒頭にある拙堂先生自身による日野資愛(ひの・すけなる)卿の題詩の解説文と拙堂先生の門人・中内惇の序文、および坤巻末尾にある拙堂先生の長男・斎藤正格(号は誠軒)の跋文に「嘉永辛亥」(嘉永4年=1851年)との表記があるので、それ以後の出版であると考えられます。作者・斎藤拙堂先生が月ヶ瀬に旅行してから約20年の歳月を経ての出版だったことになります。原版では図版が多色刷り(黒のほか灰色、青、緑、茶などの色が使用されている)になっています。

月瀬記勝 日本漢文の世界 kambun.jp
『月瀬記勝』(原版)表紙。

月瀬記勝 日本漢文の世界 kambun.jp
『月瀬記勝』(原版)の見返しと題詩。

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『月瀬記勝』(原版)の図版。

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『月瀬記勝』(原版)の本文。

 『月瀬記勝』は、乾・坤の二巻からなり、乾巻には拙堂先生の「梅渓遊記」と「梅渓十律」を掲載し、坤巻には拙堂先生の詩友らが月ヶ瀬を訪れて詠じた詩のアンソロジーとなっています。坤巻に詩が掲載されている詩人たちは、梁川星巌、その妻・張紅蘭、岡本花亭、頼山陽、篠崎小竹、中島棕隠ら、拙堂先生の詩友を中心に拙堂先生自身も加えて25名に及んでいます。

 次に、『月瀬記勝』の翻訳資料について説明します。

月瀬記勝 日本漢文の世界 kambun.jp
今中操『翻訳月瀬記勝』(月ヶ瀬梅渓保勝会)。

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今中操『翻訳月瀬記勝』(月ヶ瀬梅渓保勝会)。

 まず、昭和46年(1971年)に月ヶ瀬梅渓保勝会が刊行した今中操氏の『翻訳月瀬記勝』について言及しておく必要があります。この本は、恐らく現在までに刊行された唯一の『月瀬記勝』全訳ではないかと思います。『月瀬記勝』(乾巻および坤巻)の全文を総ルビの書き下し文とし、詩には現代語訳をつけています。(遊記や序文等は書き下し文のみ。)印刷は手書きの版下を写真製版したもので、挿図まで克明に模写されています。訳者の今中氏は、本書刊行時すでに71歳の高齢でした。後書きによれば、今中氏は60歳までは地元月ヶ瀬で農業に従事していて漢詩漢文とは無縁でしたが、60歳から師に就いて作詩法を習い、『月瀬記勝』の翻訳を望む声あるを聞いて、自ら翻訳を思い立ったとのことです。本書の書き下し文、翻訳は荒削りで、誤りも多いものの、溢れる情熱を感じさせる本です。
 斎藤正和先生から『月瀬記勝』復刻本を御恵与いただいた時に、他にもいろいろな資料を送ってくださったのですが、その中に小西亘氏が苦心して作成された「梅渓遊記」の書き下し文・口語訳が含まれていました。これは未刊資料のようで、ワープロで作成したものをプリントしたものでした。訳者の小西亘氏は、京都府の公立高校で国語の先生をされている方のようです。
 前述の大室氏の『月瀬幻影』にも『月瀬記勝』梅渓遊記の主要部分の書き下し文・口語訳のほか卓越した解説があります。
 また、稲葉長輝氏の『月ヶ瀬と斎藤拙堂』(月ヶ瀬村教育委員会)にも、梅渓遊記の概要と訳が掲載されています。
 私が当サイトに掲載した訓読・現代語訳等はこれら先輩方のすばらしい業績を参照していることを改めてここに明記し、感謝の意を表します。

月ヶ瀬梅渓 日本漢文の世界 kambun.jp
みごとなしだれ梅も。

 さて、私たちは「梅渓遊記」会読を終え、2009年3月11日に月ヶ瀬に赴いて現地を踏査したうえで、当サイトへの掲載準備を始めました。しかしその直後、私は転勤により残業に追われる日々となり、気が付けば10年の歳月が経過してしまいました。一昨年(2017年)の3月8日、再び月ヶ瀬を訪れたことを機に『月瀬記勝』を再読し、約10年ぶりに掲載を思い立って旧稿を訂正しました。正確を期するため、難読地名の読み方等を地元の月ヶ瀬観光協会に質問させていただいたところ、とても丁寧にご回答いただきました。心から感謝申し上げます。

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月ヶ瀬観光協会

 なお、今回公開できるのは、すでに旧稿を作成してあった『月瀬記勝』乾巻の「梅渓遊記」および「梅渓十律」のみです。本来ならば『月瀬記勝』の全体を訳して公開すべきですが、それは後日、時間ができてからの楽しみに取っておきたいと思います。


2019年5月2日公開。

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