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月ヶ瀬梅渓(月瀬記勝)








梅谿遊記四解説

月ヶ瀬梅渓(一目千本) 日本漢文の世界 kambun.jp
月ヶ瀬梅渓

 前段ではシノワズリの作法に従って月と梅を愛でることができたわけですが、この段ではさらに雪と梅を愛でるという幸運に恵まれています。

『月瀨記勝』乾巻の図版 日本漢文の世界 kambun.jp
風景図8

[題字]古梵霽雪
[訓読]古梵(こぼん)霽雪(せいせつ)
[現代語訳]古い寺に雪の後の晴天が広がる。


 ここでは雪に関する詩の知識が披露されます。
 まず、「粉傅何郎(ふんぷかろう)」というのは、「傅粉何郎(ふぷんかろう)」とも書き、三国時代、魏の何晏(かあん)が白粉を付けて化粧していたことから、色白の美青年を「傅粉何郎」というようになったもので、略して「何郎」ともいいます。この「傅粉何郎」を雪梅に喩えたのは宋広平の『梅花賦』です。該当部分だけを引用します。

若夫瓊英綴雪、絳萼著霜、
儼如傅粉、是謂何郎

若(も)し夫(そ)れ瓊英(けいえい)雪を綴り、絳萼(こうがく)霜を著(つ)け、
儼(げん)たること傅粉(ふぷん)の如し、是れ何郎と謂ふ

さらに言えば、玉のような花は雪をつなぎ合わせ、赤いうてなには霜が降りて、 おごそかな様子は化粧でもしているかのようだ。それでこれを「傅粉何郎」というのだ。

 ちなみに『荊楚歳時記』には、何晏は白粉で白い顔になっていたわけではなく、実際に肌が白かったとする記事があります。(『世説新語』にも同様の記事がある。)

 六月伏日並作湯餅。名為辟惡。 按『魏氏春秋』。何晏以伏日食湯餅。取巾拭汗。面色皎然。乃知非傅粉。則伏日湯餅。自魏已來有之。

 六月の伏日(夏至の後の庚の日=いちばん暑いとされている日)に熱い麺料理を作り、諸悪を払う。
 『魏氏春秋』によれば、何晏は六月の伏日に熱い麺料理を食べ、タオルを取り出して汗をぬぐったが、顔の色は真っ白だった。ということは、(彼が色の白いのは)白粉をつけているせいではなかったのだ。伏日に麺料理を食べる習慣は、魏の時代からすでにあった。

 何晏(190?~249)は、魏の曹操の養子で、清談を流行させた人物です。現存最古の『論語』注釈書である『論語集解』の編者としても知られています。曹丕に憎まれ、長らく閑職にありましたが、曹丕・曹叡の死後、大将軍・曹爽に気に入られて吏部尚書に大出世しました。しかし、曹爽の政敵・司馬懿がクーデターを起こした際に曹爽と共に殺されました。
(三国志ファンのために一言)小説『三国演義』には、第一百六回に上記の司馬懿のクーデターが描かれています。

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月ヶ瀬梅渓

 また、「梅は雪に白さが三分(つまり三割ほど)負けている」、というのは、盧梅坡の『雪梅』詩の語です。

『雪梅』
梅雪爭春未肯降
騷人擱筆費評章
梅須遜雪三分白
雪卻輸梅一段香

『雪梅』
梅・雪 春を爭い 未だ肯降(こうこう)せず
騷人(そうじん)筆を擱(お)く評章を費すに
梅は須(すべから)く雪に三分の白(はく)を遜(ゆず)るべく
雪は却(かえ)って梅に一段の香を輸(しゅ)す

『雪梅』
梅と雪は春の風情を争い、まだ勝負がつかない
文人は品評のむずかしさに筆をおいてしまう
梅は雪に対して白さは三分負けているというべきであり
雪のほうは梅に対して香のよさが負けているのである

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月ヶ瀬梅渓

 さらに、「雪の光彩と梅の艶美とは、たがいに関係がない」との韓愈の『春雪間早梅』の詩句も引用されます。もとの詩は次のとおりです。

『春雪間早梅』
梅將雪共春
彩艷不相因
逐吹能爭密
排枝巧妒新
誰令香滿座
獨使淨無塵
芳意饒呈瑞
寒光助照人
玲瓏開已遍
點綴坐來頻
那是俱疑似
須知兩逼真
熒煌初亂眼
浩蕩忽迷神
未許瓊華比
從將玉樹親
先期迎獻歳
更伴占茲晨
願得長輝映
輕微敢自珍

※注
「梅將雪」の「將」は「與」と同義で、「~と」の意。
「獻歲」は正月元日のこと。
「坐來」は、ほどなく、見る間に、との意。
「瓊華」は宝石で作った花のこと。

『春雪、早梅に間(まじは)る』
梅は雪と共に春にし
彩艷(さいえん)相因らず
吹(すい)を逐(お)うて能く密(みつ)を爭ひ
枝を排して巧みに新(しん)を妒(ねた)む
誰か香をして座に滿たしめ
獨り淨(きよ)くして塵無からしむ
芳意(ほうい)饒(あまね)く瑞(ずい)を呈し
寒光助けて人を照らす
玲瓏(れいろう)として開いて已に遍(あまね)く
點綴(てんてい)して坐來(ざらい)に頻(しき)りなり
那(なん)ぞ是(こ)れ俱(とも)に疑似(ぎじ)する
須(すべから)く知るべし兩(ふた)つながら真に逼(せま)るを
熒煌(けいくわう)初めて眼(まなこ)を亂(みだ)し
浩蕩(かうとう)忽(たちま)ち神(しん)を迷はしむ
未だ許さず瓊華(けいくわ)に比することを
玉樹と親しむに從(ま)かす
先づ期す獻歳(けんさい)を迎へんことを
更に伴(ともな)ひて茲晨(じしん)を占(し)む
願はくは長く輝映することを得ん
輕微敢へて自ら珍(ちん)とせんや

『春の雪と早咲きの梅がまじる』
梅と雪は、春をともにしているが
雪の光彩と梅の艶美とは、たがいに関係がない
雪は、風の吹く方向に向かって厚く積り
梅は、枝を並べて、その新しさは妬ましげに見える
誰が芳香を座に満たすかといえば梅であり
清浄で塵をなくすのは雪である
梅の香りは、雪のみずみずしい色を現出し
雪の寒光が梅を助けて人を照らさせる
梅は宝石にように地にあまねく咲いており
雪は梅をあちこちに点綴させようと、見る間に降りしきる
梅と雪はどうしてこんなにも似ているのか
両者とも真実に迫るものだと知るべきである
梅の花はきらきらと輝いて目を乱し
雪は大きく広がって、たちまち心を迷わせる
梅の花を瓊華(けいか=宝石でつくった花)と比べることは許されないが
雪を帯びると玉樹のように見える
はじめは梅とともに元日を迎えたいと思っていたが
いまはさらに雪まで伴い、この元日の朝を独占している
長いあいだ互いに照り映えてほしいものだが
雪は軽微なものだから、自分自身を珍奇なものだと誇るようなことはない

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月ヶ瀬梅渓

 このように、拙堂先生の一行は、月と梅、雪と梅というシノワズリの型通りの観梅ができた幸運を自慢しているのです。
 「傅粉何郎」や、盧梅坡と韓愈の詩は拙堂先生の初稿からあるもので、頼山陽が入れたものではありません。頼山陽は字句を少し直しただけです。拙堂先生には、どうしてもこれらの詩のような体験がしたいという強い思いがあり、この旅行はそれを実現するためのものでした。月は予定どおりとしても、雪までも見られるとは、幸運この上ないことだったのです。


2019年5月2日公開。

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