日本漢文の世界

 

月ヶ瀬梅渓(月瀬記勝)







附(つけたり) 梅溪(ばいけい)十律(じふりつ)

梅溪(ばいけい)の勝趣(しようしゆ)親(みづか)ら論(ろん)ずるに好(よ)し
今日(こんにち)扁舟(へんしう)始(はじ)めて源(みなもと)を問(と)ふ
濕霧(しふむ)兩崖(りやうがい)春水(しゆんすい)を渡(わた)る
冷雲(れいうん)十里(じふり)夕陽(せきやう)の村(むら)
榻前(たふぜん)幾歳(いくとし)か圖畫(とぐわ)を按(あん)じ
枕上(ちんじやう)平生(へいぜい)夢魂(むこん)を勞(らう)す
記去(ききよ)す山頭(さんとう)老禪(らうぜん)の宅(たく)
直(ただち)に香裡(かうり)從(よ)り柴門(さいもん)を得(え)たり

清川(せいせん)幽麓(いうろく)紅塵(こうじん)を阻(はば)み
雞犬(けいくゑん)寥寥(れうれう)たり洞裡(とうり)の春(はる)
僻境(へききやう)の衣巾(いきん)魏晉(ぎしん)に非(あら)ず
編民(へんみん)の姓族(せいぞく)定(さだ)めて朱陳(しゆちん)ならん
山田(さんでん)の萬石(ばんこく)玉(ぎよく)を食(しよく)と為(な)し
籬落(りらく)の十村(じふそん)芳(はう)を是(こ)れ隣(となり)とす
笑殺(せうさつ)す凡桃(ぼんたう)僊骨(せんこつ)を少(か)くを
花(はな)を種(う)ゑて學(まな)ばず秦(しん)を避(さ)くるの人(ひと)を

花中(くわちう)の清絶(せいぜつ)久(ひさ)しく梅(うめ)を推(お)す
此(こ)の境(きやう)居然(きよぜん)として更(さら)に魁(くわい)を占(し)む
遍地(へんち)の鎔銀(ようぎん)爛(らん)として海(うみ)の如(ごと)し
滿山(まんざん)玉(ぎよく)を種(う)ゑ粲(さん)として堆(たい)を成(な)す
澄溪(ちようけい)影(かげ)を蘸(ひた)して參差(しんし)として見(み)ゆ
曲徑(きよくけい)香(かう)を吹(ふ)いて窈窕(えうてう)として來(きた)る
東閣(とうかく)・西湖(せいこ)何(なん)ぞ道(い)ふに足(た)らん
唐賢(たうけん)容易(ようい)に鐡心(てつしん)を摧(くだ)かん

山屐(さんげき)行(かう)窮(きは)まる層嶺(そうれい)の西(にし)
梅花(ばいくわ)深(ふか)き處(ところ)路(みち)高低(かうてい)
雲中(うんちう)人(ひと)は過(よぎ)りて前途(ぜんと)を誤(あやま)り
雪裏(せつり)鶴(つる)は歸(かへ)りて舊棲(きうせい)を迷(まよ)ふ
幽谷(いうこく)風(かぜ)香(かを)りて自(おのづか)ら導(みちびき)を為(な)し
芳陰(はういん)苔(こけ)駁(まじ)りて亦(また)蹊(こみち)と成(な)る
清宵(せいせう)更(さら)に發(はつ)す逋仙(ほせん)の秘(ひ)
疎影(そえい)分明(ふんみやう)たり月(つき)一溪(いつけい)

月下(ぐゑつか)衣(ころも)を振(ふる)ひて碧岑(へきしん)に立(た)つ
皎然(かうぜん)一矚(いつしよく)千林(せんりん)を盡(つく)す
幽巖(いうがん)冷淡(れいたん)にして雲(くも)色(いろ)無(な)し
遙澗(えうかん)潺湲(せんかん)として花(はな)音(おと)有(あ)り
風(かぜ)は帽簷(ぼうえん)を拂(はら)ひて酒(さけ)從(よ)り醒(さ)め
參(しん)は頭上(づじやう)に横(よこ)たはりて宵(よひ)深(ふか)きを覺(おぼ)ゆ
佳人(かじん)畢竟(ひつきやう)能(よ)く客(かく)を留(とど)む
今夜(こんや)要(かなら)ず須(すべから)く樹陰(じゆいん)に宿(しゆく)すべし

雪楳(せつばい)相(あひ)伴(ともな)ひて茲辰(じしん)を占(し)む
芳意(はうい)寒光(かんくわう)兩(ふた)つながら是(こ)れ眞(しん)なり
自(おのづか)ら暗香(あんかう)有(あ)り千樹(せんじゆ)の曉(あかつき)
更(さら)に素彩(そさい)を添(そ)ふ十分(じふぶん)の春(はる)
豈(あ)に圖(はか)らんや庾嶺(ゆれい)に僊客(せんかく)を梦(ゆめ)み
兼(か)ねて剡谿(せんけい)乘興(じようきよう)の人(ひと)と作(な)らんとは
滿目(まんもく)皚然(がいぜん)たり清淨(せいじやう)の境(きやう)
山(やま)無(な)く水(みづ)無(な)し纖塵(せんぢん)を著(あらは)す

壑(たに)を蹈(ふ)み巖(いは)を攀(よ)づること自由(じいう)ならず
萬梅(まんばい)林下(りんか)輕舟(けいしう)を蕩(ゆら)す
珠(たま)を綴(つら)ねて枝(えだ)は在(あ)り風塵(ふうぢん)の表(へう)
䨮(ゆき)を映(えい)じて人(ひと)は披(かうむ)る鶴氅(かくしやう)の裘(きう)
素絢(そくゑん)圖(づ)成(な)りて危壁(きへき)に挂(か)け
玉山(ぎよくざん)影(かげ)倒(たふ)れて中流(ちうりう)に落(お)つ
篙夫(かうふ)棹(さを)を移(うつ)すは須(すべから)く除緩(じよくわん)なるべし
九曲(きうきよく)の風光(ふうくわう)細求(さいきう)を要(えう)す

盡日(じんじつ)春(はる)を尋(たづ)ねて奇(き)窮(きは)まらんと欲(ほつ)す
溪山(けいざん)境(きやう)に隨(したが)ひて更(さら)に同(おな)じき無(な)し
巖(いは)は危㟁(きがん)に懸(かか)りて參差(しんし)として出(い)で
水(みづ)は寒沙(かんさ)を嚙(か)みて屈曲(くつきよく)して通(つう)ず
輭雲(なんうん)を踏(ふ)み破(やぶ)りて屐齒(げきし)薰(かを)り
叢雪(そうせつ)を穿(うが)ち來(きた)りて舟(ふね)篷(ほう)を掲(かか)ぐ
兜羅綿(とろめん)裡(り)に乾坤(けんこん)白(しろ)し
斜陽(しややう)を埋却(まいきやく)して亦(また)紅(こう)を失(うしな)ふ

春(はる)を蹈(ふ)みて布韈(ふべつ)梅(うめ)が為(ため)に忙(ばう)なり
看(み)ること朝陽(てうやう)自(よ)り夕陽(せきやう)に到(いた)る
雪(ゆき)宜(よ)し月(つき)宜(よ)し咀嚼(そしやく)に堪(た)へたり
花(はな)有(あ)り人(ひと)有(あ)り徜徉(しやうやう)に任(まか)す
新圖(しんづ)は景(けい)を寫(うつ)して筆端(ひつたん)活(くわつ)し
奇句(きく)は遊(いう)を記(しる)して囊底(なうてい)香(かを)る
一(ひと)たび去(さ)りて他年(たねん)茲(こ)の勝(しよう)を憶(おも)はば
山川(さんせん)杳(えう)として白雲郷(はくうんきやう)に在(あ)らん

留連(りうれん)兩日(りやうじつ)仙寰(せんくわん)に宿(しゆく)し
僮僕(どうぼく)歸(かへ)るを催(うなが)して強(し)いて關(くわん)を出(い)ださしむ
袖(そで)に滿(み)つ清香(せいかう)擕(たづさ)へ得(え)て在(あ)り
一枝(いつし)の冰蕋(ひようずい)折(を)りて將(まさ)に還(かへ)らんとす
重(かさ)ねて游(あそ)ぶこと知(し)らず何(いづ)れの歳(とし)にか在(あ)る
後夢(こうむ)只(ただ)應(まさ)に此(こ)の間(かん)を尋(たづ)ぬべし
好(よ)し蹇驢(けんろ)を借(か)りて倒騎(たうき)し去(さ)り
雲間(うんかん)領(くび)を引(ひ)きて殘山(ざんさん)を望(のぞ)まん


2019年5月2日公開。2020年2月4日一部修正。

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