日本漢文の世界

 

月ヶ瀬梅渓(月瀬記勝)








梅溪十律現代語訳

梅渓のすばらしい景色は自分で(目でみて)論ずるのがよかろう。
今日、小舟に乗って初めて水源を探索する。
崖に両脇を挟まれた渓谷に湿った霧が立ち込める中を春の川を対岸に渡ると、
向こう岸は冷たい雲があたりにただよい、村には夕日が差している。
机の前で何年もの間月ヶ瀬の図を眺め暮らし、
寝ている間も魂は月ヶ瀬に旅していた。
山頂にある老僧の家は今も忘れられない。
梅の香りの中から直ちに質素な門に入っていくのだ。

清らかな川の流れる人里はなれた山のふもとは俗世間とは隔たっている。
鶏も犬もほとんどいない洞窟の中の村里の春である。
この片田舎の服装はまるで魏晋とは異なっている。
人民の姓も朱と陳だけしかないに違いない。
山中の畑(梅林)では万石に値する収穫を得て贅沢な暮らしをしている。
生垣に囲まれた十の村は梅の香りと隣合わせである。
(月ヶ瀬の村人は)平凡な桃には梅のような仙人の気質はないと笑いとばし、
梅の花を植えて、秦を避けて桃源郷へ行った人たち(が桃を植えたの)を見習うことはしない。

花の中でもっとも清らかなものとして長らく梅を推挙している。
この月ヶ瀬の地は梅の名所のなかでも厳然たる一番手である。
地上に遍満する花は溶けた銀のように輝き、まるで海のようだ。
山中に宝石のような梅を植え、花は鮮やかに咲き誇って重なりあっている。
澄んだ谷川に浸って逆さに映る梅の影は不揃いに見える。
曲った小道を梅の香がしなやかに吹き上げられてくる。
東閣や西湖など、この月ヶ瀬に比べたら大したものではない。
唐の国の賢人たちも月ヶ瀬の梅を見れば、鉄のような心も簡単に柔らかになるだろう。

下駄をはいて折り重なる山々を歩き、西のはてまで行って終わる。
梅の花の紅が色濃いところは、道の高低差が大きい。
人は雲の中を通って道に迷う。
鶴は雪の中を帰って巣を見つけられない。
奥深い谷では梅の香が自然と道案内になり、
梅の木陰には苔がむして小道になっている。
清らかな晩には林逋が詩に詠んだ秘術が披露される。
谷川に映り込んだ月に照らされて梅の影がはっきりとしている。

月夜に衣類を整えて緑の峰に立つ。
見渡すかぎり真っ白で大梅林が一望できる。
奥山の岩は地味な色彩で、雲さえも無色である。
遠くの谷川には水がサラサラと流れ花も音を立てる。
風が帽子のつばをなでるように吹き去り酔いもさめる。
オリオン座の三ツ星が頭上に見えて、夜遅いことに気づく。
梅の精霊は美人で結局は客を帰らせない。
今夜はきっと木陰に宿ることになるに違いない。

雪と梅があい伴ってこの朝を独占している。
梅の香りも雪の寒光も二つとも真実である。
自然と梅の香がただよう大梅林の夜明けである。
更に雪景色が白い光を添え、雪と梅と詩のある完璧な春である。
思ってもみなかった。大庾嶺(だいゆれい)の梅花の中で仙人を夢に見て
そればかりか剡谿(せんけい)で小舟に乗って感興にふける人になろうとは。
見渡す限り真っ白なけがれなき世界である。
すべてが雪に覆われて、山も川も僅かな塵さえ露わになることはない。

谷を踏破し、岩をよじ登るが、思いのままというわけにはいかない。
万株の梅林のもとで小舟をゆらゆらと動かす。
真珠のような花を連ねた枝を持つ梅の木は立派な人物のようだ。
雪が照り映える中、人はあたたかな鶴羽のコートを着る。
白地(雪)に彩色(梅花)を施した絵が出来上がって、高い崖に掛けたようだ。
美男子のような雪山の影が酔い崩れたように川の中央に映っている。
船頭さんにはゆっくりと棹さしてもらわなければならない。
九曲溪(のような五月川)の風景をよくよく見きわめなければならないから。

終日春の気配を尋ね歩いていると、とてつもなく奇異なことばかりである。
谷川も山も場所がちがえば全く同じではない。
岩は高い絶壁に掛けてあるかのようで、不揃いに突き出している。
水は寒い水辺に噛みつくようにしてくねくねと流れている。
ふわふわした雲(のような落花)を踏み分けると、下駄の歯が香り、
降り積もった雪の間を縫って進みつつ、舟はとまを掲げる。
綿のような雪の中に、天地は白一色である。
夕日が大地に呑み込まれて太陽の紅色が隠れてしまい、世界はますます白一色になる。

春には旅装に身を包み、梅を見て歩くのに忙しい。
朝日が昇ってから夕陽が沈むまで梅を見て回った。
雪も月も時宜にかなって、深く味わえた。
花もあり人もおり、ぶらぶらと気ままに歩き回る。
月ヶ瀬の景色を写生した新らしい絵は、筆先が躍動している。
月ヶ瀬での観梅を歌ったすばらしい詩句を入れると、かばんの底から芳香が立ちのぼる。
ひとたびこの場所から離れて、数年後にこの素晴らしい景色を思い出したならば、
山や川は遥かに遠い白雲郷(仙境)にあるように感じることだろう。

楽しさのあまり仙境のような月ヶ瀬に二日間も滞在した。
下男に「帰りましょう」と促されて無理やりに関所を越えた次第。
梅花の清らかな香りが袖に満ちたのを、そのまま持ち帰る。
雪のついた花の枝を一本折り取り、いままさに帰ろうとしている。
再びここに来遊できるのはいつの年になるだろうか。
後々見る夢の中では、ただただ月ヶ瀬を探し訪ねることになるだろう。
(名残惜しさに)足の悪いロバを借りてきて仙人のように後ろ向きに乗り、
雲の間に垣間見える山々が見えるかぎり、首を伸ばして見ながら帰りたい(気分である)。


2019年5月2日公開。2020年2月4日一部修正。

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