その後間もなく空が晴れて日が出てきた。正午ちかくになると、雪はすっかり消えた。そこで川の南岸の景勝を見たいと思い、一目千本の下まで来てみると、舟が南岸に横付けになっている。嵩村の渡し舟である。川越しに声をかけると、老人の船頭が一声返事して、竹藪の中から舟をこいできて、我々を乗せてくれた。私は皆に提案した。「北岸の山道は険しくて歩きにくく、まだその景勝を十分に堪能できてない。だから先に北岸を見てから南岸を見ることにしたい。」皆は「よろしいでしょう」と同意してくれた。そこで船頭に命じて谷川をさかのぼり、真福寺の下まできたあたりで、岩のでこぼこで舟がギシギシと音をたてるので、やむなくとって返した。
尾山の梅は、谷を単位として計量するほどの多さである。尾山の八谷(やたに)はそれぞれ数百から千に及ぶ梅の木があり、真福寺はその西の端にある。真福寺の下が八谷の初めの谷でこれを敞谷(ほうらだに)という。第二が鹿飛(しかとび)、第三が搜窪(さがしくぼ)で、搜窪の上には天狗岩があり、天狗の棲みかといわれている。第四は祝谷(いわいだに)、第五は菖蒲谷(しょうぶたに)、第六は杉谷(すぎたに)、そして第七が一目千本(ひとめせんぼん)であり、第八は大谷(おおたに)である。大谷の花の多さは一目千本とよい勝負であろう。谷どうしは数十歩(数十メートル)しか離れていないが、その景色はそれぞれ異なり、言い尽くすことはできない。これらの谷の梅花は対岸の山と渓流を隔ててそれぞれの影が照り映え、舟はその間を進みゆく。はるけき仙境も遠くはない(この場所こそが仙境である)と思えるほどで、これこそもっとも奇異なことである。公図はかつてこの場所を旅したときに詩句をつくり、「梅花そのものが仙境」と言ったものだが、まことにその通りだ。私はこの詩句に言及し、「桃の花は俗すぎて、仙境のしるしにはふさわしくない。この世にまことの桃源郷があったとしても、梅渓が仙境の趣きを持っているのにはかなうまい。陶淵明の『桃花源記』も徒労の作にすぎない。陶淵明にこの梅渓のこれほどの景勝を見せてやれたならと惜しむばかりだ」と言うと、公図はいつまでもうなずいていた。
2019年5月2日公開。
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