日本漢文の世界

 

月ヶ瀬梅渓(月瀬記勝)








梅谿遊記三現代語訳

 暗くなってから三学院に戻った。月の出を待って、外出して梅花を見るつもりだった。私は平生から梅渓の月夜のすばらしさを想像し、一回の旅行で梅と月の両方を併せて見たいと念願していた。毎年の春、伊賀上野から人が来るたびに、梅の開花状況を尋ねたものだが、花が咲き萎む時期と、月の満ち欠けとは、いつもかみ合わない。七・八年間、開花と満月の時期が合うのを待っっていたが、今年に入ってから、(いつまでも待っていてもしかたがないので)今月の(満月の日である)十五日よりも前に行くと決めた。ところが、月ヶ瀬の地は山中であるから梅の開花はとりわけ遅く、いつも春分の数日前になる。しかるに春分は今月の末であるため(満月ではない)。満月ではないのをどうしたものか。そのときふと邵康節(しょう・こうせつ)の詩を思い出した。「花を見るには、けっして満開のときに見ないこと」とある。ひそかに思うに、半開で十分、満開まで待つに及ばないのだ。かくて(満月の)十五日から三日後に月ヶ瀬へやって来たのだが、あに図らんや、梅花はすでに七・八分咲き、あるいは十分咲きになっているではないか。思いもよらぬことで、喜びもひとしおである。しかし、日は暮れたが、黒雲が空を覆っていて満月を拝むことができない。まことに残念至極。そこで明かりをともして酒を飲むことにした。
 この旅行では、五升の酒が入る樽を買って酒をめいっぱい入れ、下男に担がせて持ってきていた。下男を呼んでその酒を出させたが、一座を数巡もしないうちに酒がなくなってしまった。そんなはずはないと下男を問い詰めると、下男は酔っぱらって樽を地に落とし、ひっくり返して(酒をこぼして)しまったと白状した。ますます残念な思いはつのる。そこで村の酒を数升買い付け、杯を洗ってさらに飲み続ける。村の酒は甘くて口に合わないが、それでもほのかに酔いが回ってきた。文稼は風流な男であり、公図は国内に詩名高く、半香は山水画を得意とする。その他の人々も、みな詩を吟じたり、書画を描いたりして、残念な思いを慰めた。
 すると突然、小僧が知らせに来た。「雲が散って月が出て参りました。」一同は驚き喜んで、狂ったように杯を捨てて外へ走り出た。時刻は二更(午後10時頃)になろうかという頃。空は晴れ、満月は冴えわたっている。真福寺まで歩いてくると、梅の枝という枝は満月に照らされ、きれいに透き通って、影が横向きや斜めになっている。宝石の髪飾りのような梅の枝が、あちらこちらと地に満ちる。川はその下を流れて、さらさらと音を立て、人里ではなく(仙境にいるかのような)感覚をおぼえる。川岸に沿って西へ向かい、月ノ瀬村(月ヶ瀬十村の一つ)の前までくると、川の水は宝石のように清らかで、水面に映る月影は縮まり、銀色の魚のように見える。両岸の山の梅の枝は、その銀色の魚の上から逆さに水につかっているのが、ぼんやりと見える。もしも川の中ほどまで舟でこぎ出したなら、山も川もいっしょに動きだすにちがいない。この光景を見て、私の平生の願いは酬いられたのだ。


2019年5月2日公開。

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