月の瀬の高台 芭蕉の句碑がある広場
芭蕉の句碑 「春もやや けしきととのふ 月と梅」
次に拙堂先生らは舟を降りて上陸し、嵩から月の瀬の高台へと登ったことを記しています。
この高台には、芭蕉の句碑がある広場があります。拙堂先生はそこまで登ったのか、さらに上の山の頂上まで登ったのか、どちらだったのでしょうか。文章からは、頂上まで登ったように読み取れます。現在月の瀬の高台の頂上には「天神風の道公園」が整備されており、展望台もありますが、観光客でここまで登る人はめったにいないと思われます。しかし、拙堂先生らの時代の人々は非常な健脚です。このくらいの坂はなんとも思わなかったことでしょう。
拙堂先生は、この高台を中国の泰山に例えていますが、泰山は皇帝が自己の権力を誇示するための「封禅(ほうぜん)の儀」を行う場所として有名であり、現在「世界遺産」に登録されています。そのような場所と月ヶ瀬をなぜ比べているのか、すこし無理やりな感じもしますが、多くの梅の花が作り出す幻想的な風景から、中国の宗教的な山である泰山を連想しているのだと思われます。
大室幹雄氏はこれについて次のように述べています。
月瀬(つきのせ)村の高みに立ってその眺望に感嘆した作者は、泰山をひきあいに出している。西土の山東省泰安県の北方にそびえる泰山は、五座の聖なる山いわゆる五岳のうち、東方に位置する東岳であり、皇帝が天空と大地の神々をみずから祀る最高の聖山として上古以来尊崇されてきた。標高は1532メートル。これにたいして月瀬村の最高所は300メートルに達するにすぎない。それで月瀬村の眺望を泰山山頂の俯瞰に比定することには、地理的な事実における相互の近似も、歴史的な伝承にかかわる宗教的な意義の類似も欠けていることがあきらかである。(中略)けれども泰山の展望を暗示引喩したのにすぐついで、「宜(むべ)なるかな、月瀬の名の独り顕(あら)わるるは、其の名の雅馴(がじゅん)なるに止(とど)まらざるなり」、すなわち、月ヶ瀬十か村中で月瀬(つきのせ)村の名だけが世に知られているのは、その名が文雅なだけでなく、そこから眺望される風景のすばらしさによるのだと述べ、さらに天がかき曇って雪が降りはじめると、それを谷風が捲きあげる一連の変化の華麗な記述がつづくのを読むとき、泰山の引喩が、十分な詩的リアリティをもって生かされていることが了解される。(大室幹雄著『月瀬幻影』中公叢書 124-125ページ)
風景図5
[題字]遍地香雲
[訓読]遍地の香雲
[現代語訳]地面いっぱいに広がる香りのよい雲のような梅花。
天神風の道公園の展望台からの眺望 月の瀬の高台の頂上にある公園です。
2019年5月2日公開。
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