記の二
一目千本は、尾山八谷の一也。花最も饒し。故に此の名有り。蓋し芳野の櫻谷に比すと云ふ。余同人と院を出でて、前崖を下る。山水と梅花と皆已に佳絶なるを覺ゆ。意に任せて行き、一大谷に至る。文稼識りて之を言ふ。徑詰曲して上れば、花之を夾む。歩して其の間に出づ。白雲を籋みて行くが如し。數百歩にして巔に達す。下顧すれば、彌望皜然、谿山と相輝映す。
余嘗て芳野に遊び、其の一目千本を觀る。此の盛有りて、此の勝無し。又嘗て嵐山の櫻花を觀る。此の勝有りて、此の盛無き也。
更に之を西土の梅花を以て名ある者に求むれば、杭の孤山は、境は蓋し幽なれども、花は則ち寥寥たり。蘇の鄧尉は、花は頗る多けれども、地は則ち熱鬧なり。唯羅浮の梅花村のみは、峻峰に對し、寒溪に臨みて、花尤も饒し。我が梅溪に比す可きに庶幾からん歟。
日已に斂昏、花淡煙の中に隱れ、千樹依約として其の極まる所を見ず。暗香蓊葧として人を襲ひ、溪聲の益近くして且つ大なるを聞く。咫尺色を辨ぜざるに至りて後に去る。
2019年5月2日公開。