布引滝から龍が壷へと登る遊歩道。
布引の滝は、この龍が壺から注いでいます。龍が壺へは現在では遊歩道で簡単に登れるのですが、梁洲先生は非常な苦労をして登られています。そして、梁洲先生最初の滝探検は、ここで終わりとなっています。梁洲先生は、この探検を紀行文にまとめ、仲間内で回覧していたようです。その後30年を経て、梁洲先生は龍が壺よりも奥の部分も探検し、最後の岩窟滝までの探検を完了したのです。
龍が壷から布引滝の注ぎ口を望む。
そして、梁洲先生の最初の探検における紀行文に書かれた滝が「前澗(ぜんかん)」、30年後に書き足された部分に書かれた滝が「後澗(ごかん)」と当時言われました。「澗」とは滝を含めた谷川のことです。当時まで四十八滝の奥地まで探検して紀行文を書いた人はいなかったため、梁洲先生の紀行文の成立時期によって谷川を「前」と「後」に分けることになったわけです。しかし、梁洲先生は谷川は一連のものだから、前後に分けるのは妥当ではない、と自ら言っておられます。
龍が壷。昔はいろいろ言い伝えがあったようです。
さて、梁洲先生によると、この龍が壺は、小石を投げ入れると、中に住んでいる龍が怒って暴風雨になるという言い伝えがありました。しかし、そんな言い伝えは今では完全に忘れられています。現地でもらったパンフレットにも何も書いてありません。梁洲先生の「前澗(ぜんかん)」(第1回目の探検対象となった谷川)の最後を飾る重要な淵も、今では、うかうかすると見落としてしまう、一つの小さな淵へとすっかり格下げになってしまったようです。観光客の多くは、この目立たない淵に、目もくれないに違いありません。
龍が壷。簡単に行けると、霊性は薄れてしまうものです。
名勝も遊歩道などができて何の苦労もなく見られるようになってしまうと、その名勝のもつ「霊性」が著しく低下してしまうという顕著な例の一つであろうと思います。
2009年9月6日公開。
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