霊蛇滝(現在の千手滝)から布引滝へと登る遊歩道。
霊蛇滝(現在の千手滝)の上流には、布引滝があります。布引滝に登るのに、梁洲先生は霊蛇滝の左肩を登って行ったということですが、そこはまさに絶壁であり、どのようにして登ったのかと驚くばかりです。現在では、霊蛇滝(現在の千手滝)の右側から洞穴のそばをとおって上に登る道が付けられています。この道は、木や石を敷き詰めて遊歩道として整備されているので、現在では簡単に上まで登ることができます。
布引滝へ行くための鉄製の橋。布引滝側から撮影。
霊蛇滝(現在の千手滝)の上に上り、布引滝へ行くには、小さな橋を超えなければなりません。梁洲先生は、着物のすそをかかげて渡ったということですが、この橋を渡る人は、霊蛇滝(現在の千手滝)の滝つぼからみると、まるで霊蛇滝の上を歩いているかのように見えます。
布引滝を仰ぎ見る人たち。
そして、布引滝は、少し奥まったところにあります。表からは見えず、奥へ入って行かないと全貌が見えないもどかしさを、本文では「御本尊を拝みたいのに仏壇の扉がまだ開いていないような・・」と、うまく表現しています。
布引滝の美しい姿。
布引の滝は、同名の滝が兵庫県神戸市にもあることは周知であり、当サイトでも齋藤拙堂の紀行文『観曳布瀑遊摩耶山記』を紹介しています。梁洲先生は、神戸の布引の滝を見たことはないのですが、名張の布引の滝のほうが良いに違いないと自信をもって断定しています。広瀬旭荘も布引滝の詩で同じことを言っております。
赤目の布引滝。
幽邃さは神戸の滝にまさるといえましょう。
神戸市出身の私としては、神戸の布引滝と名張の布引滝の優劣を競うよりも、それぞれに別の魅力があるのですから、それを楽しんだらよいと思います。しかし、『観瀑図誌』刊行当時は、名張の布引滝は世間にほとんど知られておらず、かたや神戸の布引滝は古来有名でさかんに和歌に詠まれていた事情などを考えると、「名張にもこれほどの名瀑があるのに、なぜ神戸の滝ばかり有名なのか」、と梁洲先生は義憤にも似た思いをこめて、この一行を書いたのかも知れない、と思えてきます。
2009年9月6日公開。
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