天が白い練り絹を曳いている
宮崎青谷 画
布引の滝
名前は同じ布引の滝だが
わが伊勢の布引の滝は、摂津の滝よりもすごい
どうして平清盛公は
摂津の布引の滝などをわざわざ見にいったのか
旭荘
霊蛇滝(千手滝)の右側の岩。
前方(霊蛇滝左側)の大きな柱状節理の岩は、
現在「天狗柱岩」と呼ばれています。
布引滝は、龍が壺からあふれ注いでいる。この滝を見物するには、どうしても霊蛇滝の左肩をよじ登ってゆくほかない。しかし、たいへんけわしい上に、高い崖が聳え立っており、登り道もない。
「天狗柱岩」を間近に見たところ。
樹木がいっぱいです。
こんなところを登れるのでしょうか。
崖の上から中腹にかけて樹木の根が露出し、もつれ絡まって、まるでたくさんの小さな蛇がからまったり離れたりしているかのようである。これが数十歩(1歩は約1.8メートル)に亘って続いている。この樹木につかまって登らなければ、布引滝を見ることはできないのである。大自然は、これほどの奇勝を人目に触れさせたくないと惜しんでいるのではないか、とさえ思えてくる。
そこで、気合を入れて一所懸命、体を傾けながら必死に登って行った。手でつかみ、足で送る様子は、はしごを登るようだ。後ろに続く人は前の人の足の踏んだところを探りながら登って行くのだが、てっぺんの崖が曲がっているところまで登ると、もはや手探りすることさえもできず、岩のはしを捕まえてやっとのことでころばないように支えているありさま。ふと下を見れば霊蛇滝がごうごうと音を立てており、ぞっと身の毛立った。
布引滝に行くには、橋を渡ります。
梁洲先生は、すそを掲げてここを渡りました。
やっとのことで登りきり、右折して下ってゆくと、また水の音が聞こえたので、耳をすます。しかし、大きな岩が滝つぼの水際に突き出しているので、滝はほんの一部分しかみえず、全体を見ることができない。正面からこの滝を見るには、下流を越えて、左側の崖に沿って行かなければならない。大自然は奇勝を隠して、見物しようとする者に、何としても見たいというむずむずした思いを抱かせようとしているのではないかと、本気で思えてくる。これはちょうど、仏を信ずる人が御本尊を拝もうとして、仏壇の扉がまだ開かず、とばりも開いていないうちから、目は注視し、心は渇望するようなものである。
滝の下流は、溝のような広さで、幅は6、7尺(約2メートル)ほどである。着物のすそをかかげて渡ったが、水の深さは膝まである。渡り終えると、塀や柱のような巨大な岩の崖が高く聳えて、下にある崖に迫っている様子が見えた。
布引滝の美しい姿が見えてきました。
そこから更に進んで滝壺のふちまで行ってみると、一筋の白布のような布引滝が岩のてっぺんから垂れ下がっている。その高さは10仞(20メートル)はある。滝の水は、ねじれたようにまとまって、さらし布が風に翻って表になったり裏になったりするのによく似ている。滝の音は、霰(あられ)が降るようでもあり、潮が満ちるようでもあり、風が松林をかすめ、雨が竹やぶにぱらぱらと降り注ぐようでもある。
布引滝を正面から見たところ。
不動滝は水が多すぎていけないというわけではなく、布引滝は水が少なすぎていけないというわけでもない。布引滝はゆったりとやさしげなところが良く、不動滝は、激しくほとばしるところが取り柄である。今はまさに秋で、水は冷たく引き締まっている。私は、四十八滝の中で、布引滝が最もすばらしいと思う。
布引滝の左側の岩。
「長椅子やついたてのような岩」等というのは、
残念ながらよく分かりませんでした。
布引滝の滝つぼは、一枚岩をくるくると巻いて作った大きな甕(かめ)に水を蓄えたようなものだ。広さは、不動滝の滝つぼの倍はある。その深さは計り知れない。滝の懸かっている崖の上に石が立ち並び、もみじの木が生えているのは、霊蛇滝(現在の千手滝)に良く似ている。霊蛇滝(現在の千手滝)と大地の気の流れがつながっているのだろう。左側の岩は、上のほうが細くなっており、下の岩の頭が上の岩の足にくっついたような具合になっている。長椅子やついたてに似た石が数十も並んでいるのも奇観である。
布引滝の滝つぼ。
摂津(兵庫県)の布引の滝は、平清盛公が見に行ったところで、古来名所として名高いところである。しかし、私は摂津の布引滝は虚名を得ているにすぎず、土地の霊気や滝つぼの深さでは、とうてい伊勢の布引滝には及ぶまいと思う。有名なものが必ず優れ、世に知られていないものが必ず劣っていると断言できる者はいないであろう。
2009年9月6日公開。
ホーム > 名勝の漢文 > 赤目四十八滝(観瀑図誌) > 曳布瀑現代語訳
ホーム > 名勝の漢文 > 赤目四十八滝(観瀑図誌) > 曳布瀑現代語訳