日本漢文の世界

 

赤目四十八滝(観瀑図誌)







曳布瀑(ぬのびきたき)

天曳素練 日本漢文の世界 kambun.jp
天(てん)は素練(それん)を曳(ひ)く

観瀑図誌(布引滝の図) 日本漢文の世界 kambun.jp
青谷(せいこく)老人(らうじん)

観瀑図誌(布引滝の詩) 日本漢文の世界 kambun.jp
曳布(ぬのびき)の瀑(たき)
均(ひと)しく曳布(ぬのびき)の瀑(たき)と名(な)づく
吾(わ)が伊(い)は攝洲(せつしう)に勝(まさ)る
如何(いかん)ぞ平相國(へいしやうこく)
空(むな)しく攝山(せつざん)の游(いう)を作(な)すや
 旭莊(きよくさう)

 曳布(ぬのびき)の瀑(たき)は、龍(りゆう)が壺(つぼ)從(よ)りして溢(あふ)れ注(そそ)ぐ。將(まさ)に之(これ)を觀(み)んとすれば、靈蛇(れいじや)の左肩(ひだりかた)を攀(よ)ぢざるを得(え)ず。而(しか)れども險(けは)しきこと甚(はなはだ)し。峻崖(しゆんがい)峭嶄(せうざん)にして、徑(こみち)の躋(のぼ)る可(べ)き無(な)し。
 但(た)だ樹根(じゆこん)の露出(ろしゆつ)するを見(み)る。崖(がけ)自(よ)り腹(はら)に延(の)び、紛亂(ふんらん)攢蹙(さんしゆく)して衆小蛇(しうせうだ)の結(むす)びて復(ま)た解(と)くるが若(ごと)く、數十步(すうじふほ)に亙(わた)れり。顧(おも)ふに此(これ)を舍(す)つれば由(よ)りて登(のぼ)り觀(み)るを得(う)ること無(な)からん。豈(あ)に造物者(ざうぶつしや)の其(そ)の奇勝(きしよう)を靳(をし)みて、人(ひと)をして之(これ)を覩(み)しむるを欲(ほつ)せざる歟(か)。
 是(ここ)に於(おい)て奮然(ふんぜん)猛進(まうしん)し、欹仄(きそく)して上(のぼ)る。手(て)行(ゆ)き足(あし)送(おく)り、恰(あたか)も梯(はしご)を上(のぼ)るが如(ごと)し。後者(こうしや)は前者(ぜんしや)の躡(ふ)む所(ところ)を捫(さぐ)り、上頭(じやうとう)の崖(がけ)曲(まが)る處(ところ)に至(いた)れば、復(ま)た捫(さぐ)る可(べ)き者(もの)無(な)く、僅(わづか)に岩角(がんかく)を捉(とら)へ、以(もつ)て顛躓(てんち)を防(ふせ)げり。下(した)は則(すなは)ち靈蛇瀑(れいじやたき)、[氵薨(こう)][氵薨(こう)]として脚底(きやくてい)に響(ひび)き、毛髮(もうはつ)皆(みな)竦(そばだ)つ。
 既(すで)に登(のぼ)り、右轉(うてん)して下(くだ)る者(こと)數十武(すうじふぶ)。又(ま)た水聲(すいせい)有(あ)り。尤(もつと)も人耳(じんじ)を聳(そばだ)たしむ。但(た)だ巨岩(きよがん)の潭涯(たんがい)に突出(とつしゆつ)するを以(もつ)て、纔(わづか)に一斑(いつぱん)を窺(うかが)ふのみ。而(しかう)して未(いま)だ其(そ)の全豹(ぜんぺう)を見(み)るを得(え)ず。若(も)し正(まさ)しく之(これ)に面(めん)せんと欲(ほつ)すれば、下流(かりう)を越(こ)ゑて左崖(さがい)に就(つ)くに非(あら)ずんば不可(ふか)なり。益(ますます)造物者(ざうぶつしや)の斯(こ)の奇勝(きしよう)を秘(ひ)して、人(ひと)をして技癢(ぎやう)に堪(た)へざらしむるを知(し)る。猶(な)ほ佛(ほとけ)を信(しん)ずる者(もの)の靈像(れいざう)を拜(はい)するに、龕(がん)未(いま)だ全(まつた)くは啓(ひら)かず、帳(ちやう)未(いま)だ全(まつた)くは褰(ひら)かず、而(しかう)して眼(まなこ)穿(うが)ち意(こころ)渴(かつ)するがごとき也(なり)。
 下流(かりう)は渠(きよ)の如(ごと)し。幅(はば)六七尺(ろくしちしやく)。褰(かか)げて涉(わた)る。水(みづ)膝(ひざ)に至(いた)れり。既(すで)に濟(わた)れば、石崕(せきがい)聳立(しようりつ)し、屏(へい)の若(ごと)く柱(はしら)の若(ごと)き者(もの)の其(そ)の下崕(かがい)を摩(ま)する有(あ)り。  進(すす)んで潭涯(たんがい)に及(およ)べば、則(すなは)ち一條(いちでう)の素布(そふ)、岩頂(がんちやう)從(よ)り垂下(すいか)する者(こと)十仞(じふじん)。其(そ)の水(みづ)の結(むす)びは拗捩狀(えうれいじやう)を作(な)す。酷(はなは)だ [日麗(さい)]布(ふ)の一(ひと)たび表(おもて)し一(ひと)たび裏(うら)し、翩反(へんぱん)として止(とどま)らざるに肖(に)たり。其(そ)の聲(こゑ)爲(た)る也(や)、霰(あられ)の降(ふ)るが如(ごと)く、潮(しほ)の上(のぼ)るが如(ごと)く、風(かぜ)の密松(みつしよう)を掠(かす)め、雨(あめ)の叢竹(そうちく)に灑(そそ)ぐが如(ごと)し。
 不動(ふどう)は水(みづ)の多(おほ)きを厭(いと)はず。曳布(ぬのびき)は水(みづ)の少(すくな)きを厭(いと)はず。蓋(けだ)し曳布(ぬのびき)は其(そ)の軟舒(なんじよ)を貴(たつと)び、不動(ふどう)は其(そ)の奮激(ふんげき)を取(と)る。時(とき)は老秋(らうしう)にして水(みづ)縮(ちぢ)む。余(よ)尤(もつと)も曳布(ぬのびき)の貴(たつと)ぶ可(べ)きを見(み)る也(なり)。
 其(そ)の潭(たん)は全石(ぜんせき)を巻(ま)き起(おこ)し、大甓(おほがめ)の水(みづ)を蓄(たくは)ふるが如(ごと)し。廣(ひろ)さも亦(また)不動(ふどう)に倍(ばい)す。濬然(しゆんぜん)として測(はか)られず。崖上(がいじやう)には石(いし)立(た)ち楓(かへで)插(さしはさ)み、大(おほい)に靈蛇(れいじや)の右崖(うがい)に似(に)たり。蓋(けだ)し龍脈(りゆうみやく)相(あひ)通(つう)ずる也(なり)。左崖(さがい)の石(いし)は、次第(しだい)に上殺(じやうさい)し、首跗(しゆふ)相(あひ)接(せつ)す。榻(たふ)に類(るい)し扆(い)の若(ごと)き者(もの)、陳列(ちんれつ)すること數十(すうじふ)。亦(また)奇(き)なり。
 抑(そもそも)攝(せつ)の曳布(ぬのびき)の瀑(たき)は、平相國(へいしやうこく)の游觀(いうくわん)する所(ところ)なり。名(な)久(ひさ)しく顯(あらは)る。余(よ)謂(おも)へらく「唯(た)だ其(そ)の名(な)高(たか)き耳(のみ)。地(ち)の靈(れい)なると潭(たん)の深(ふか)きとは、則(すなは)ち恐(おそら)くは此(ここ)に及(およ)ばざらん。」と。孰(たれ)か顯揚(けんやう)なる者(もの)必(かなら)ず勝(すぐ)れ、而(しかう)して閉晦(へいくわい)なる者(もの)必(かなら)ず劣(おと)ると謂(い)ふ耶(や)。


2009年9月6日公開。

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