赤目の瀑前記
泉聲の山 菘翁題
赤目の山は、我が名張の西南二里許りに在り。高さ三十丈。樹は蓊蔚、石は怪奇なり。而して澗泉懸り、四十八瀑と爲る。
其の最も觀る可き者は、曰く行者、曰く千手、曰く不動、曰く靈蛇、曰く曳布、曰く龍が壺、曰く縋藤、曰く柿窪、曰く荷擔、曰く琵琶、曰く岩窟。而して不動・曳布・荷擔・琵琶、最も大なり。合せて之を名づけて赤目の瀑と曰ふ。山に因つて名を得たる也。
俗に傳ふ、「役小角の此の山を闢く也、不動明王、赤目の牛に騎して現る。故に是の名を得たり」、と。其の千手・不動等の目は、皆浮屠氏の命ずる所にして、土人慣稱する耳。四十八も亦佛願の數と爲す。其の多きを言ふ耳。毎歳七月、近人來り觀る。之を賽瀑と謂ふ。
擧、夙に泉石の疾有り。而して居は山と相近し。故に屢來り遊ぶ。天保辛卯の秋、始めて文を作つて之を記し、行者に始まり龍が壺に終る。此を前澗と爲す。今茲萬延庚申の秋。源を究めて記を續け、岩窟に始まり縋藤に終る。此を後澗と爲す。
予夙に此の山水の奇を愛し、之を世に公にせんと欲すること久し。乃ち各圖及び題篆を四方の諸彦に請ひ、記を其の後に録すること左の如し。
古人云ふ、「山水靈有らば、當に己を千古に知るに驚くべし」、と。余が文は山水を彰すに足らずと雖も、山靈或は余を以て知己と爲さん乎。
2009年3月28日公開。