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『観瀑図誌』は、前記と後記に分かれております。この文章は、前記の序文に当たるわけです。ここに梁洲先生自身が書いているように、『観瀑図誌』は、前半にあたる「赤目瀑前記」が書かれたのは天保2年(1831年)の秋であり、後半の「赤目瀑後記」が書かれたのは、万延元年(1860年)の秋でした。ですから、『観瀑図誌』は前後30年の歳月を費やして完成したわけです。
「赤目瀑前記」のほうは、下流から上流へとさかのぼり、行者滝にはじまる5つの滝と、1つの淵のことが記されています。「赤目瀑後記」は、竜が壺からさらに上流にある5つの滝と1つの淵について記されています。
ところが、この「赤目瀑前記」「赤目瀑後記」が完成したあと、梁洲先生は、「観瀑ルートからは外れたところにある『大日滝』のことが書かれていない」と人から指摘されました。梁洲先生はあわてて大日滝を見に行き、「観大日瀑記」を付け加えて、『観瀑図誌』を完成したのです。
実際に、歩いてみますと、「赤目瀑前記」に書かれている下流には、千手滝(今の霊蛇滝)、不動滝、霊蛇滝(今の千手滝)、布引滝、と短い距離の中に、大きな滝がたくさんあり、これだけでも十分に見ごたえがあります。それらの滝を「前記」は仔細に観察して書いています。
これに対して、「赤目瀑後記」に書かれている上流は、小さな滝が多いのですが、梁洲先生はそれらにはほとんど触れず、見所である比較的大きな滝だけを扱っておられます。そういう意味で、「後記」のほうは、おおざっぱな印象を受けます。もれている滝には、縋り藤と柿窪の間にある「陰陽滝」「姉妹滝」、横渕と荷担滝の間にある「斜滝」などがあります。
陰陽滝(おんみょうたき)
姉妹滝(しまいたき)
斜滝(ななめたき)
2009年3月28日公開。
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