滝のさらさらと流れる音が耳に残る
半谷・野田可復書く
青谷老人
靴は行く。筆は記す。どちらも大した苦労だ。
『観瀑図誌』で大昔から秘境にかくされた泉が初めて公になった。
さらにうれしいことに、山の神は隠しもせずに惜しげもなく、
図誌に漏れたすばらしい景色も洗いざらい見せてくれたのだ。
梁洲老人・政挙
万延元年(1860年)の初冬、私は津への出張より帰った。宮崎青谷君と一緒に、私が案内人となって赤目の滝を見物する段取りであったが、事情があって私がいけなくなったので、ほかの人に代わりに案内させた。
その案内の代役をしてくれた人が帰ってきて私に知らせてくれた。「不動滝から数百メートルほど上に行くと、右側に樹木の間から大きな滝が見えました。仰ぎ見るような高さがある滝で、『大日滝』という名前です。宮崎君がスケッチを描いてくれました。あなたは『観瀑図誌』を作ったのに、この滝のことを書き洩らしたのはどうしてなのですか。」私は笑って答えた。「『鬼の目にも見残し』というですよ。」
十一月二十三日に、ある人たちを連れて見に行った。登り口には二つの道があるが、左側の道から登った。その山のてっぺんを「経塚」という。ここから少し降ると、谷川の向こう側の真正面にその滝はある。私は驚き、不思議な思いが尽きず、滝に向かって語りかけた。「なぜ会うのがこんなに遅くなってしまったんだろうね」と。
大日滝
この滝は三層からなっており、比べ物がないほどの高さをもつ。林の木で上と下の部分が見えないので、全体が見えにくい。間近なところで見ようと思い、谷川が湾曲しているところまで降りていくと、滝はたちまち林に隠れてしまい、目で追うことができなくなった。それでわかった。しばしばこの場所を訪れているが、谷川に沿って登ることが多く、今来た道を登ったことはほとんどない。以前来た時は、樹木の葉がうっそうと茂る季節であった。だから大日滝を見つけられなくても当然だったのだ。
大日滝
上のほうに第二層が見えています
流れを横切って登っていくと、葉の落ちた樹木は枝がごつごつとしており、大きな石があちこちに散乱して、ところどころに雪も積もっている。歩きにくいところを数百メートルも歩いて、やっと到着した。岩の崖が壁のように立ちはだかる。その幅は3丈(10メートル)ほどである。岩の色は堆積した砂鉄のように黒い。その岩の崖には、全面に水がゆったりと清らかに流れそそいでいる。水と崖の色とが反射しあう様子は、鉄板と溶けた銀のように見える。そして滝の高さは布引滝をはるかに凌駕する。崖の土台部分は大きな岩になっており、そこに水が当たって激しく飛び散り、霧が生じている。滝の両脇の、飛沫の及ぶ範囲は数丈(十数メートル)にわたりツララが出来ている。これが大日滝の一番下の層である。その上に二つの層があるが、これは土地の状態からして、見ることはできない。
大日滝
この大日滝は、特に遠くからと近くからの眺めの両方を見てこそ妙味がある。はじめ大日滝に向かって山を登ろうとしたとき、下流には滝へとたどっていける流れがないことが不思議だった。滝のところへ来てみて初めて、滝の水は数メートルも流れ注いでいるうちに岩のすきまに滲み込んでしまうことが分かった。その水は地下を流れて谷川に合流しているのだ。
大日滝には滝壺がありません
私は二人の同行者を顧みて言った。「ああ、もしこの滝に滝壺があったなら、他の滝の景観など問題外ですね。」すると、医者をしている同行者が言った。「滝壺なんか無くてもよいではありませんか。頭痛もちは、夏、頭に滝の水を浴びれば治ります。ほかの滝は滝壺があるので危険ですが、この滝は滝壺がないので近寄ることができます。ほかの滝よりもずっと良いではありませんか。」私は反論できなかった。
大日滝の下流
ほとんど水がありません
村へ帰ってからふり返ると、杉のこずえに大日滝の面影が見えたので、あらためてその大きさと高さに驚いた。土地の人の話では、夏の日に大雨が降ると、この滝はまことに壮観であるとのことだが、全くそのとおりだろうと思う。そもそも、谷川に入って行くより前に大日滝の壮観を見ることができるわけで、その意味でこの滝は四十八滝の標識を建てているようなものだ。
私は、耳に滝の音を聞いて半生を過ごしてきた。それなのに大日滝の景観を知らなかった。それをなんと宮崎君にひねり出された。これは人を案内する者が、かえって人に案内されるということだ。いわゆる小事を察して大事を見逃すということだ。物事を処理するうえで、自分一人の見聞に頼ってはいけないと悟った次第である。滝のことでさえこうだから、滝よりもさらに重大な物事では尚更のことである。
2017年3月26日公開。
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