日本漢文の世界

 

赤目四十八滝(観瀑図誌)







大日瀑(だいにちたき)を觀(み)るの記(き)

観瀑図誌(餘音漎然) 日本漢文の世界 kambun.jp
餘音(よいん)漎然(しようぜん)たり
 半谷(はんこく)田(でん)可復(かふく)書(しよ)

観瀑図誌(大日瀑の画) 日本漢文の世界 kambun.jp
青谷(せいこく)老人(らうじん)

観瀑図誌(大日瀑の詩) 日本漢文の世界 kambun.jp
鞋(くつ)は行(ゆ)き筆(ふで)は記(しる)す兩(ふたつ)ながら艱辛(かんしん)なり
千古(せんこ)の幽泉(いうせん)闡(ひら)き得(え)て新(あらた)なり
且(か)つ喜(よろこ)ぶ山靈(さんれい)秘惜(ひせき)すること無(な)く
他(た)の奇勝(きしよう)を傾(かたむ)けて吾人(ごじん)に付(ふ)するを
 梁洲(りやうしう)老人(らうじん)舉(きよ)

大日瀑(だいにちたき)を觀(み)るの記(き)
  鎌田(かまた)政舉(まさこと)
 庚申(かうしん)の初冬(しよとう)。余(よ)津城(つじやう)自(よ)り歸(かへ)り、青谷(せいこく)宮崎(みやざき)君(くん)と倶(とも)に、將(まさ)に親(みづか)ら導(みちび)きて赤目(あかめ)の瀑(たき)を觀(み)んとす。而(しかう)して故(ゆゑ)有(あ)りて得(え)ず。人(ひと)をして代(かは)りて導(みちび)かしむ。
 其(そ)の人(ひと)回(かへ)り報(ほう)じて曰(いは)く、「不動瀑(ふどうたき)の上(かみ)數百歩(すうひやつぽ)、右顧(うこ)すれば遙(はる)かに一大瀑(いちだいばく)を樹隙(じゆげき)に得(え)たり。其(そ)の崇(たか)きこと仰(あふ)ぐ可(べ)し。號(がう)して大日瀑(だいにちたき)と曰(い)ふ。宮崎(みやざき)君(くん)之(これ)が圖(づ)を爲(つく)る。子(し)嘗(かつ)て諸瀑(しよばく)を記(しる)す。而(しか)るに獨(ひと)り之(これ)を漏(もら)らすは何(なん)ぞ也(や)。」と。余(よ)笑(わら)つて曰(いは)く、「諺(ことわざ)に所謂(いはゆる)鬼視(きし)の遺(ゐ)也(なり)」と。
 十一月(じふいちぐわつ)念三日(にじふさんにち)、某生(ぼうせい)を拉(らつ)して往(ゆ)きて之(これ)を觀(み)る。山口(さんこう)二徑(にけい)有(あ)り。左(ひだり)して登(のぼ)る。其(そ)の頂(いただき)を經塚(きやうづか)と呼(よ)ぶ。少(すこ)しく下(くだ)れば則(すなは)ち澗(かん)を隔(へだ)てて瀑(たき)に面(めん)す。余(よ)驚(おどろ)き怪(あやし)みて已(や)まず。曰(いは)く、「何(なん)ぞ相(あひ)見(まみ)ゆるの晩(おそ)き也(や)」と。
 蓋(けだ)し三層(さんそう)相(あひ)承(う)け、絶高(ぜつかう)倫(たぐひ)無(な)し。但(ただ)し林樹(りんじゆ)其(そ)の頭脚(とうきやく)を遮(さへぎ)るを以(もつ)て、其(そ)の全身(ぜんしん)を認(みと)め難(がた)き耳(のみ)。就(つ)きて之(これ)を觀(み)んと欲(ほつ)す。下(くだ)りて澗隈(かんわい)に向(むか)へば、忽焉(こつえん)として林中(りんちゆう)に没(ぼつ)し、目搜(もくそう)すれども得(え)ず。因(よ)りて謂(おも)へらく、余(よ)の屢(しばしば)游(あそ)ぶや、多(おほ)く澗(かん)に循(したが)つて上(のぼ)る。其(そ)の今(いま)の道(みち)に由(よ)る者(こと)幾(いくばく)も无(な)し。況(いは)んや曩(さき)の游(いう)は樹葉(じゆえふ)蔚葱(うつそう)たり。其(そ)の目(め)に觸(ふ)れざるも亦(また)宜(むべ)ならず乎(や)。
 水(みづ)を絶(よぎ)りて躋(のぼ)れば、寒梢(かんさう)槎枒(さが)し、礧石(らいせき)狼藉(らうぜき)して、往往(わうわう)雪(ゆき)を鋪(し)く。艱步(かんぽ)すること町餘(ちやうよ)にして乃(すなは)ち達(たつ)す。石崖(せきがい)壁立(へきりつ)す。幅(はば)三丈(さんぢやう)可(ばか)り。色(いろ)は積鐡(せきてつ)の如(ごと)し。滿崖(まんがい)水(みづ)瀉(そそ)ぎ下(くだ)り、舒遅(じよち)蕭爽(せうさう)たり。水(みづ)と崖色(がいしよく)と相(あひ)映(えい)じ、鐡板(てつぱん)・鎔銀(ようぎん)の如(ごと)し。而(しかう)して崇(たか)さは曳布(ぬのびき)を壓(あつ)す。崖趾(がいし)には盤石(ばんせき)有(あ)りて水(みづ)を承(う)け、激揚(げきやう)して噴霧(ふんむ)す。飛沫(ひまつ)の及(およ)ぶ所(ところ)、兩腋(りやうえき)皆(みな)冰骨(ひようこつ)數丈(すうぢやう)なり。此(こ)れ下(しも)の一層(いつそう)と爲(な)す。其(そ)の上(かみ)の二層(にそう)は、復(ま)た觀(み)る可(べか)らず。蓋(けだ)し地勢(ちせい)の然(しか)らしむる耳(のみ)。
 此(こ)の瀑(たき)は特(とく)に遠望(ゑんばう)併觀(へいくわん)を以(もつ)て妙(めう)と爲(な)す也(なり)。初(はじ)め將(まさ)に躋(のぼ)らんとするや、下流(かりう)に沿(そ)ひ求(もと)む可(べ)き無(な)きを怪(あや)しむ。是(ここ)に至(いた)りて始(はじ)めて知(し)る、流注(りうちう)すること數步(すうほ)にして石罅(せきか)に滲(し)み入(い)ることを。蓋(けだ)し其(そ)の下(しも)は伏流(ふくりう)して澗水(かんすい)に合(がふ)する耳(のみ)。
 余(よ)二生(にせい)を顧(かへり)みて曰(いは)く、「嘻(ああ)。斯(こ)の瀑(たき)をして潭(たん)有(あ)らしめん耶(か)、諸勝(しよしよう)は皆(みな)下風(かふう)に在(あ)り」と。生(せい)の醫(い)を業(げふ)とするもの乃(すなは)ち曰(いは)く、「潭(たん)無(な)きも何(なん)ぞ妨(さまた)げん。頭風(とうふう)を患(わづら)ふ者(もの)は、暑月(しよぐゑつ)頂(いただき)を瀑(たき)に灌(そそ)げば則(すなは)ち癒(い)えん。他(た)の瀑(たき)は皆(みな)潭(たん)有(あ)りて畏(おそ)る可(べ)く、而(しかう)して此(こ)れ獨(ひと)り狎(な)る可(べ)し。豈(あ)に更(さら)に妙(めう)ならず乎(や)」と。余(よ)以(もつ)て答(こた)ふる無(な)し。
 村(むら)に返(かへ)りて回顧(くわいこ)すれば猶(な)ほ其(そ)の面目(めんぼく)を杉杪(さんべう)に見(み)る。益(ますます)其(そ)の崇高(すうかう)に驚(おどろ)く。土人(どじん)云(いは)く、「夏日(かじつ)大(おほ)いに雨(あめ)ふれば、洵(まこと)に鉅觀(きよくわん)爲(た)り」と。意(おも)ふに必(かなら)ず然(しか)らん。夫(そ)れ未(いま)だ澗(かん)に入(い)るに及(およ)ばずして、先(ま)ず此(こ)の觀(くわん)有(あ)り。諸瀑(しよばく)の爲(ため)に標(へう)を建(たつ)る者(もの)の似(ごと)し。
 余(よ)耳(みみ)を瀑聲(ばくせい)に洗(あら)ふ者(こと)半生(はんせい)。而(しか)るに是(かく)の如(ごと)きの觀(くわん)有(あ)るを知(し)らず。乃(すなは)ち宮崎(みやざき)君(くん)に拈出(ねんしゆつ)せ被(ら)る。是(こ)れ我(われ)の人(ひと)を導(みちび)かば、人(ひと)の實(じつ)に我(われ)を導(みちび)くに非(あら)ず也(や)。豈(あ)に所謂(いはゆる)秋毫(しうがう)を察(さつ)して輿薪(よしん)を遺(のこ)す者(もの)ならん乎(や)。予(よ)始(はじ)めて應接(おうせつ)の際(さい)、一人(いちにん)の耳目(じもく)の恃(たの)む可(べか)らざるを悟(さと)れり。瀑(たき)すら猶(な)ほ此(かく)の如(ごと)し。況(いは)んや瀑(たき)より大(だい)なる者(もの)を乎(や)。


2017年3月26日公開。

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