依田 学海
私は酒はきらいだが、山海の珍味には目が無い。それで、川や海で魚が取れたと聞けば、もう食べたくてたまらなくなる。しかし、東京近海は泥が多いので、よい魚は取れない。遠い地方から運んできたものは、日が経っているので、これもうまくない。それを日ごろくやしく思っていた。
最近、尾道へ旅行した。五月五日、現地の友人、橋本子純が私に言った。
「向島の製塩場を見に行って、鯛を蒸し焼きにして食ったら、うまいですよ。先生、いっしょに行きませんか。」
私は大喜びでついていった。子純は私に製塩の方法や歴史を詳しく説明してくれた。それから、鯛の蒸し焼きが出てきた。色艶はあざやかで、まるで生きているようだ。箸を取って、うろこをめくってみると、肉は雪よりも白い。醤油をかけて食べると、そのうまさはとても言葉にできないほどだ。私は箸をおくことができず、どんどん食べながら、子純に言った。
「鯛は魚のなかでいちばんだということは、おれも子供のときから知っていたが、こんなにうまいものだとは知らなかったよ。」
子純は笑った。
「先生、こんなのまだまだですよ。明日もっとおいしい鯛をごちそうしましょう。」
六日、まだ夜が明けないうちに子純はやってきた。私は仕度をして、宿を出た。船に乗って、南へ三里ばかり行ったところで、朝日が海面に姿をあらわした。光は海面にふりそそぎ、島じまはその間に出没している。まるで、青い宝石のようだ。船は百貫島の近くまできた。私は子純と船底で話をしていた。すると急に、船員が声をかけた。
「鯛の網があがりますよ。」
船客たちはいそいで甲板に出た。見ると、漁船が五六隻おり、漁師が十人ほどで輪のようになって網を引いている。漁師のなかには、小さな手網で水面をたたいている者もいる。これは、鯛が逃げ出さないようにしているのだ。網があがると、金色の大鯛が十あまり、いきよいよく跳ね上がるのが見えた。漁師たちは手網ですくって捕まえる。その手際のよさに、私は子純らと拍手喝采した。そこで、酒一樽を漁師らにプレゼントして、大漁を祝った。漁師たちはそのお礼に、大きな鯛を一尾くれた。このようにするのが、この辺のやりかたなのだ。子純は他にも数尾を買い入れた。船内にはコックがいて、鯛を吸い物や刺身に、急いで料理してくれるのだ。その香り良くあぶらの乗った肉のうまさは、説明しろと言われても無理というものだ。
私はかつて、菅茶山(かん・ちゃざん)の文集の中に、茶山の弟、恥庵(ちあん)の「鯛を捕まえて食べたこと」という文章が載っているのを読んで、すばらしい文章だと感じ入ったものだ。今では私自身が同じ経験をしたわけで、それがなんともうれしく、グルメ運があることも喜びにたえない。そこで記念として、この文を作った。
2002年8月31日公開。