日本漢文の世界


(たい)(あみ)

依田(よだ) 學海(がくかい)

 ()(もと)より(いん)(たしな)まずして(あぢ)(この)む。(およ)江鮮(かうせん)海鱗(かいりん)は、()新獲(しんくわく)()(ごと)に、(いま)(かつ)垂涎(すいぜん)三尺(さんじやく)ならずんばあらず。(おも)ふに東京(とうきやう)近海(きんかい)は、泥濘(でいねい)(おほ)くして佳鮮(かせん)()し。(とほ)きより運輸(うんゆ)するは、(やや)もすれば日時(にちじ)()色味(しきみ)(おほ)いに(げん)ず。(つね)(もつ)(うらみ)()せり。

  頃者(このごろ)尾路(をのみち)(ぐう)五月(ごぐわつ)五日(いつか)橋本(はしもと)子純(しじゆん)()()ひて(いは)く、「()()向島(むかひじま)に、製鹽場(せいえんぢやう)()(たい)()して(これ)(くら)へば、(あぢ)(きは)めて()なり。(なん)(とも)()かざる」と。()(よろこ)びて(これ)(したが)ふ、子純(しじゆん)()(ため)製鹽法(せいえんはふ)(およ)沿革(えんかく)()くこと(はなは)(つまびら)かなり。(すで)にして鯛魚(てうぎよ)(きよう)す。(いろ)(あざ)やかにして()くるが(ごと)し。(はし)()りて()(うろこ)(めく)れば、脆肉(ぜいにく)(ゆき)(あざむ)く。(そそ)ぐに醤油(しやうゆ)(もつ)てして(これ)(くら)ふに、(めう)()(べか)らず。()(むさぼ)(くら)ひて(はし)()かず。(いは)く、「(われ)(をさな)きより鯛魚(てうぎよ)鱗中(りんちう)最美(さいび)()ることを()れども、(いま)(かつ)()(あぢ)(ここ)(いた)るを()らざる(なり)」と。子純(しじゆん)(わら)つて(いは)く、「(いま)だしなり。()明日(みやうにち)()て」と。

 六日(むいか)(てん)(いま)()けず。子純(しじゆん)(きた)(うなが)す。()(すなは)束装(そくしやう)して()で、(ふね)(あが)(みなみ)(むか)ひて()すること三里(さんり)(あまり)朝暾(てうとん)(はじ)めて(あらは)れ、(ひかり)海波(かいは)()諸島(しよたう)()(なか)出没(しゆつぼつ)す。碧玉(へきぎよく)琢成(たくせい)する(もの)(ごと)し。(ふね)百貫島(ひやくくわんじま)(およ)ぶ。()子純(しじゆん)篷底(ほうてい)()して(かた)る。(にはか)舟子(しうし)()ふを()く、「(たい)(あみ)(まさ)(あが)らんとす」と。(みな)(あらそ)()でて(これ)()る。漁船(ぎよせん)五六(ごろく)(せき)()り、漁夫(ぎよふ)十餘人(じふよにん)環列(くわんれつ)して(あみ)()く。(また)(さお)()つて(みづ)()(もの)()り、()逸失(いつしつ)(ふせ)(なり)(あみ)(すなは)()がる。朱鬛(しゆれふ)金鱗(きんりん)十餘(じふよ)潑剌(はつらつ)として()ばんと(ほつ)す。漁夫(ぎよふ)(あみ)()にして(これ)()る。()子純(しじゆん)()歡呼(くわんこ)喝采(かつさい)し、(めい)じて(さけ)一樽(ひとたる)(あた)(ため)(これ)(しゆく)す。漁夫(ぎよふ)(すなは)(むく)ゆるに巨鱗(きよりん)一枚(いちまい)(もつ)てせり。(けだ)此閒(ここ)慣例(くわんれい)なりと()ふ。子純(しじゆん)(また)(めい)じて數枚(すうまい)()ふ、舟中(しうちう)庖人(はうじん)()り、(いそ)()りて調理(てうり)し、(あつもの)()(なます)()して(これ)(すす)む。芳脆(はうぜい)香膩(かうじ)(うま)きこと名状(めいじやう)(がた)(なり)

 ()(かつ)菅茶山(かんちやざん)(しふ)に、()(おとうと)恥庵(ちあん)捕鯛記(ほてうき)()するを()みて、()(ぶん)()とせり。(いま)(さいはひ)(これ)()ふことを()()()口腹(こうふく)(ふく)()るを(けい)する(なり)(つひ)(あは)せて(これ)(しよ)す。

2002年1月20日公開。