日本漢文の世界


中江藤樹傳解説

 塩谷宕陰『中江藤樹伝』は、宕陰の著書『昭代記』の中の記事の一つで、戦前の中学校用の漢文教科書によく掲載されていた文章です。

藤樹書院
藤樹書院

 日本陽明学の祖といわれる中江藤樹については、今では知る人も少ないと思います。この記事の中で宕陰は藤樹の思想を次のように紹介しています。この部分は『藤樹先生年譜』寛永19年35歳の部分からほとんどそのまま引用したものです。

弟子たちを指導するときは必ず『孝経』を講義した。「愛敬」の二字については、心を込めて教えた。「愛敬を実践していれば、相手に心が自然と伝わる。湿気のあるほうに水が流れ、乾燥したものに火がつくようなものだ。我々自身の愛敬の心はふだんは気質や習慣でおおわれて全く見えないが、親子や兄弟の間では時として愛敬の心が現われることがある。この心をよくよく認識して育てていけば、聖人・賢人の心持ちが分かってくるのだ。(拙訳)

 また、藤樹が愚鈍な弟子・大野了佐に全精力を傾けて教育したエピソードで藤樹の教育事業の神髄を垣間見せ、墓地を訪れた武士のエピソードで藤樹の感化力の大きさを証しています。内村鑑三は著書『代表的日本人』の中で藤樹を「村の先生」と呼び、代表的教育者として顕彰していますが、藤樹の真価は教育にあったのです。
  上記の武士のエピソードは橘南谿の『東西遊記』から採られたものです。死後百年以上も遺徳を偲ばれる人は聖人の称号にふさわしいと言えます。宕陰はこれらのエピソードを巧みに取り入れて、短い文章で「近江聖人」と称された藤樹の人徳をよく伝えています。
 さて、現代は「今だけ、金だけ、自分だけ」などという言葉に象徴されるように、あらゆる道徳的価値が顧みられない殺伐とした時代になってしまいました。しかし、藤樹がもっとも大事にしていた「孝養」だけは、古臭い儒教の善悪はさておいて、見直されるべき価値観であると思います。誰しも現在の自分があるのは、産み育ててくれた親の存在があってこそであり、「孝養」こそが人倫の根本であることは、古今東西かわることはないはずです。

 昨年(令和5年)1月に滋賀県高島市の藤樹旧宅跡にある「藤樹書院」を訪問したときのレポートも公開していますので、そちらもぜひご覧ください。
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中江藤樹の講堂「藤樹書院」訪問

2024年12月7日公開。