林子平は、国防の先覚者です。わが国は海に囲まれているので、国防については古来おおらかなところがありました。しかし、当時ロシアはすでに南下政策をとり、西欧諸国もアジアを虎視眈眈と伺っていました。子平は、著書『海国兵談』で、「江戸の日本橋より唐、阿蘭陀迄境なしの水路也。」と喝破し、国防の大事を力説しました。『海国兵談』は高邁な思想を説く書ではなく、実践的な兵書であり、各種の戦法が図入りで詳しく説明されています。情報の限られた当時において、一個人がこれだけの調査をし、独創的な成果を上げえたことは、まことに驚くべきことです。しかし、幕府は『海国兵談』の絶版を命じ、子平に蟄居を仰せつけました。自由に物の言える時代ではなかったのです。
さて、子平が今日のわが国の惨状を見たら、何と言うでしょうか。北朝鮮による拉致、韓国による竹島占拠、中国との尖閣諸島問題、瀋陽事件等の暴挙に対して口先だけの抗議しかできず、有事法制さえ未整備です。もしも同盟国アメリカがわが国を見放したら、これらの周辺諸国は沖縄へ、本土へと、侵略の機会を伺うに違いありません。子平の警告は、今日においてもなお意義を失っていない、と言わざるを得ません。
この「林子平伝」は、竹堂先生の文章の中で、おそらく最も有名なものだと思います。エピソードを巧みにおりまぜながら、林子平の思想や性格を克明に描いた、伝記の傑作です。伊藤博文公が仙台にある林子平墓の前面に建てた「林子平碑」にも、竹堂先生のこの文章が刻まれています。
※「林子平伝」中の人名の読み方は、地元仙台の野崎さんにお伺いして教えていただきました。
2002年10月13日公開。