岩倉具視(いわくら・ともみ、1825-1883)。公家出身の明治維新の功労者。明治4年、特命全権大使として欧米を廻った。帰国後、西郷隆盛の征韓論を退け、内政充実に努めた。明治16年没。
よく鍛えられた刀。
右大臣のこと。岩倉公は、当時右大臣であった。
一本。「口」は、人や品物を数えるときの接尾辞。
贈り物。
男子の尊称。「貴殿」というような意味。
記録をつくる。
剛は、川田甕江の諱(いみな=本名)。本文中に実名を使うのは、へりくだる意味がある。
「唯唯」は、「かしこまりました」、と返事申し上げること。「唯」は、下位の者が上位の人に命ぜられたことを承諾したときに発する言葉。
「座りなさい」という意味。
明治初年の幕府残党の乱。上野の彰義隊、会津の白虎隊などが有名。
天皇陛下の軍隊。
幕府の総帥、すなわち徳川将軍(徳川慶喜)のこと。
徳川慶喜(1837-1913)は、江戸幕府の第十五代将軍。慶応三年(1867年)十月十四日、京都二条城において大政奉還を奏上し、江戸に屏居したが、朝廷は東征軍を発した。この文章はこの間の事情を扱っている。慶喜は維新後、罪を許されて、駿府(静岡市)に隠居した。のち、公爵を授けられた。
「屏居」とは、世を退いて、家に引きこもること。徳川慶喜は、官軍に対して謹慎の意を示すために屏居(隠居)し、朝廷からの処分を受け入れようとして、待っていた。
「羣兵(群兵)」は、幕府方の兵士。官軍(朝廷軍)が江戸へ迫ってくるので、彼らは迎え撃つ準備をして、大いにいきり立っていた。
幕府兵士たちの勢いは、もう誰にも止められなくなっていた。
幕府の直属の部下(要するに「旗本」)のこと。
山岡鉄舟(1836-1888)は、諱(いみな)は高歩、通称は鉄太郎、号は鉄舟。旧幕臣で、剣術に通じ、無刀流の創始者。江戸城無血開城の際における活躍は、甕江のこの文章により、後世に伝わった。鉄舟は維新後、明治天皇の侍従として側近に使え、子爵になった。書画も善くした。
男気があること。
江戸幕府の官職で、幕府の軍事の指揮権を掌握する立場にあった。
勝海舟(1823-1899)。安房守の官職にあったので、勝安房とよばれている。咸臨丸でアメリカへ渡ったことでも有名。幕府の海軍奉行を務めた。幕府崩壊の時に、幕府の軍事総裁として、総督府参謀西郷隆盛とともに江戸城無血開城を成功させたことは、明治維新史上の大功績である。維新後は明治政府で海軍卿となった。伯爵。
有栖川熾仁(たるひと)親王(1835-1895)。戊辰戦争時は征討総督、会津征伐大総督を務め、以後、左大臣、参謀総長等を歴任した。
幕府軍を征伐するために設けられた官軍の職。
現在の静岡市。徳川家康の隠居地で、幕府の直轄領になっていた。
軍隊が駐留すること。
薩摩の人。西郷隆盛は薩摩藩士。
西郷隆盛(1827-1877)は、薩摩藩士で、薩長連合成立の立役者。戊辰戦争のときは、征討大総督府参謀として活躍した。後年「西南の役」の首謀者となり、国賊として死んだ。「西郷南洲」などとせず、「西郷隆盛」と実名で書かれているのは、国賊であるため。
軍隊の参謀本部。ここでは、征討総督の軍営。
計画立案等に関与する人。
官軍の先頭部隊。
陣門のこと。陣屋の門。
「よぎる」と読んでもよい。とおり過ぎること。
大声で叫ぶこと。
朝廷の敵、天皇陛下の敵ということ。
急用がある。
川崎の官軍の陣中にいた人びと。
驚いて、目を見張る。
「鉄舟を止めようとするものは誰もいなかった。」 (原文「莫之或止」。「或」は「有」と同義。「之」は、語気を整える助辞で、意味はない。)
斥候(敵情偵察)の騎兵。
馳せ集まる。
「小田原の町じゅうで、やかましく触れ回っている。」 駅は宿場(ここでは小田原)。一は、一国とか一天などと言うときの一と同じで、全体という意。
甲府のこと。甲州勝沼で幕府軍が叛乱をおこしていた。
交戦状態になること。
逃げた兵隊。
呼び集めること。
「法を用いなければ伐つ」ということ。左伝(隠公11年)の語で、軍隊の節度をいう。「刑」は法のこと。
軍隊の礼法にかなっていること。
恐れるさま。
将軍家茂に降嫁された、皇女和宮のこと。
先代の薩摩藩主、島津斉彬の娘。将軍家定の夫人。
「ゆだねる」意。
備前岡山藩のこと。
それぞれの立場を取り替えること。
薩摩藩主、島津久光のこと。
徳川氏が有利になるように、さまざまに口添えをすること。
盟約の言葉を書き記し、宣誓すること。
勇敢で立派な男子。
ここでは徳川氏のこと。
通行証。
「誰だ?」、と問いかけること。
「あてがう」こと。『搜神記』の『干將莫邪』に「客以劍擬王、王頭隨墮湯中、客亦自擬己頭、頭復墮湯中。」とある。
高札(こうさつ)のこと。板に書いて、人目につくところに高くかかげた。
大通りのこと。
安心して暮らすこと。「堵」は、もともと家のまわりの土塀のことで、安堵とはその中で安心していること。
徳川家達(1863-1940)。徳川家第16代当主。もと田安亀之助と称したが、慶応4年(1868年)、6歳で田安家から徳川本家に養子に入った。維新後、静岡知藩事。明治10年(1877年)、イギリスへ留学。のちに貴族院議長などを歴任。
人民のこと。
戦争による流血の惨禍に巻き込まれること。
朝廷のはかりごと。
心が広く、あわれみ深いこと。
立ち上がって、おじぎする。
やいばの両面にある細い溝。「ちながし」。
「なかご」のこと。刀身の柄の中に入る部分。小身(こみ)ともいう。
刀の先。
切れ味のよい刀のたとえ。硬い宝石でも切れるくらいの切れ味のさえをいう。
名刀の形容。刀がきらりとするどく光るさまを、秋の霜にたとえる。
下のほうはたっぷりと太く、上のほうは細くなっている。
貫は、銭一千文にあたる。
鎌倉時代末期の刀工。相模の国、鎌倉に住んでいた。詳しい伝記は不詳。
かの有名な二刀流の開祖。
吉礼(祭祀)、凶礼(喪)、軍礼(軍事)、賓礼(賓客)、嘉礼(冠婚など)。
ねうち。
未曾有。前代未聞。古(いにしえ)を曠(むな)しくする、すなわち前例がないくらい優れていること。
失敗の前例のこと。ひっくり返った車のわだちのあと、というのが原義。前車が覆(くつが)えれば、後車はそれを見て戒めなければならない。
2001年8月5日公開。2002年10月13日一部追加。