日本漢文の世界


繫思談序現代語訳

繫思談序

巖谷 一六
 友人・藤田鳴鶴が、自ら訳した英国作家リットンの『ケネルム編』を持ってきた。彼が言うには、「リットンは同時代の名誉ある貴族であり、身分は侯爵で、閣僚にもなった。その名声は一世を風靡しており、政治家としての政策も、文章の技量もすばらしいものである。この本は、彼の晩年における会心の作である。君、ぜひひとつ序文を作ってくれないか。」
 そこで、訳書を受け取って読んでみたところ、文章は美しくまた緻密で、才能のほとばしりを感じさせる。詩人、俳優、子供、年寄り、農民、職人、名士、僧侶といった登場人物の一挙手一投足がすべて一人の哲学者ケネルムの奇抜な思想を通して語り出されるのだが、自由気ままに語られているようでありながら、一本筋が通っていて乱れることがないのは、まことに一大奇書の名に恥じない。そして、本書の目的は、じつに同時代の弊害を矯正することにあるのだから、小説の感化力もここに極まるというべきであろう。
 訳者・鳴鶴は若いころから英語が得意で、豊かな才能に恵まれ、気骨にも富む。彼もまた一人のケネルムである。これほどの訳者がこれほどの本を訳しているのだから、読むほどに精神が昂揚して、思わず訳書であることを忘れてしまう。
 本書では、時おり議院制度に言及しているが、実はこれこそ作者リットン氏の本領である。風流を解する美人に本の校訂をさせ、美人の館で政治を論ずるのと同じく、小説の形式を借りて国事を談ずるものである。そもそも訳者・鳴鶴が本書を訳述した真意も、翻訳小説を借りて国事を論じたいからに他ならないであろう。

2008年11月23日公開。