この文章は、一六居士が友人の郵便報知新聞記者・藤田鳴鶴(ふじた・めいかく、1852‐1892)が翻訳出版した『繫思談初編』の序文として書いたものです。『繫思談』の原本は、リットン卿(Edward Bulwer Lytton)の生涯最後の小説で、原題は「ケネルム・チリングリ(Kenelm Chillingly)」といいます。小説の題と同名の人物が主人公で、主人公の成長を描いた教養小説です。訳書の題『繫思談』は、「ケネルム・チリングリ(Kenelm Chillingly)」の頭文字「K・C」を音訳したものです。
原作者リットン卿は、明治のころには同時代のベストセラー作家として注目されていたらしく、織田純一郎訳の『欧州奇事花柳春話』(明治11年)をはじめとして多くの著書が翻訳紹介されています。ところが現代においては、リットン卿は完全に忘却されていて、わずかに『ポンペイ最後の日』だけが読みつがれているだけです。ちなみに国際連盟の満州国調査団の団長であったヴィクター・リットン(Victor Alexander George Robert Lytton)は、作家リットン卿の孫に当たります。
『繫思談』の翻訳は明治18年1月より郵便報知新聞紙上に連載され、翌年「初編」として出版されました。そして、明治20年には「中編」が出版されています。この翻訳は、藤田鳴鶴と尾崎庸夫の共訳ということになっていますが、実際には彼らが援助していた朝比奈知泉(1862―1939)が訳したものです。本作は森田思軒らの周密体(稠密体)と呼ばれる翻訳文体のさきがけとなった作品として翻訳史上画期的であるとされています(徳田秋声『明治小説文章変遷史』等)。たしかに翻訳は細部にいたるまで正確を期しており、挿絵も当時日本に滞在していたフランス人画家ビゴーに依頼するなど、それまでの安易な翻訳物とは一線を画そうとしていました。
この文章は、エネルギーに満ちた明治日本の文化状況をよく伝えています。
2008年11月23日公開。