巖谷 一六
友人藤田鳴鶴、其の譯する所の英國李頓著健年兒編を携さへ來る。曰く、「李頓は近時の名卿、家は侯爵に列し、身は廊廟に立つ。聲名一世を震蕩し、政事・文章、煥然として觀る可し。茲の編は晩年得意の作なり。子其れ一言を題せよ。」と。
受けて之を讀むに、詞致精麗、才藻奇拔。詩人也、俳優也、兒女也、翁媼也、農夫・工人、縉紳・僧侶、千情萬態、一哲學士・健年兒の奇思中自り説き來り、貫線縱横、條有りて紊れず。洵に一大奇書也。而して其の旨は專ら時弊を矯むるに在り。文人化工の筆、是に於て乎盡すと謂ふ可し。
鳴鶴夙に英學に精しく、才敏にして識卓し。頗る任俠の風有り。亦一の健年兒也。若き人を以て若き書を譯す。宜なる乎、神超思逸、讀者をして其の譯筆爲る覺えざらしむ。
編中間議院制度に論及す。是れ李氏の本領、所謂校書を美人に託し、慷慨を青樓に論ずる者なり。鳴鶴譯述の意も、其れ亦斯に在る乎。
2008年11月23日公開。