日本漢文の世界


閣龍傳現代語訳

コロンブス伝

安積 艮齋

 コロンブスはイタリア国ジェノバの人である。聡明で大志があり、航海術に精通し、諸国を歴遊した。海や港の地理、島や暗礁、海中砂堆の位置、航路の詳細から鯨・ワニなどの棲みかにいたるまで、海のすべてを知り尽していた。「コロンブスの航海術は空前絶後」と絶賛されたが、コロンブスはそんな評判に気を良くすることもなく、寝食忘れて研究に没頭し続けた。
 彼は口癖のように言っていた。
「世界は果てしなく広いが、極東方面はほとんど探検し尽くされた。だが西方には、まだ発見された国はない。だから私は大西洋に船を出して、まだ誰も見たことのない国を発見するのだ。」
 コロンブスの大志はこのようなものだった。
 しかし、彼はひどい貧乏で、大きな船を自前で準備することはできなかった。本国イタリアの官庁へ陳情に赴いたこともある。当時、西洋諸国は植民地の獲得を国策としていたため、狡猾な山師たちが、国王のもとへ航海計画を次次ともちこんできた。国王らもでたらめな儲け話には懲り懲りになっていたため、コロンブスの航海計画にも耳を貸さなかった。そこで次にポルトガルに赴き陳情したが、またも失敗に終わった。次の遊説先はイスパニアである。イスパニア王妃は、聡明で慈悲深い御方で、コロンブスの熱意に心が動き、1万6千金という大金を醵出して彼の計画を支援してくれることとなった。
 明応元年(1492年)に彼の船は出帆し、針路を西に取った。しかし、出帆後34日を経ても、四方はひろびろとして、空と海ばかりである。ほくろほどの小さな島も見えない。水夫たちはすっかり意気阻喪し、皆がコロンブスを罵倒した。
「三日以内に陸が見えなければ、貴様を海に沈めてサメの餌にしてやる。そうでもしなけりゃ、気がすまねえ。」
 しかし、コロンブスは平然として、部下の者をマストに登らせ、「陸が見えたら、大声で報告よ」と命じた。
すると間もなく、「陸だ!陸だ!」とマスト上から絶叫する声が聞こえた。水夫たちは躍りあがって喜び、その歓声は雷のようだった。彼らは、コロンブスを取り囲んで拝礼した。いそぎ上陸してみると、果たしてそれは大陸であった。北アメリカ大陸の発見である。
 それ以後、コロンブスの功績をうらやんで、アメリカへ渡る者が後を絶たず、その結果、南北アメリカ大陸は、ほとんどが西洋人に占拠され、かつての楽園の面影は、まったく失われた。
 コロンブスはアメリカから帰還すると、イスパニア王妃に復命した。王妃はたいそう喜んで、コロンブスをアメリカ総督に任命した。ところが、コロンブスは開拓には功績をあげたが、政治的には無能であったため、移民の叛乱が相次いで起きた。そこで国王は別の将軍を派遣して叛乱を鎮圧し、コロンブスは本国へ召還した。コロンブスは本国で以前どおりの厚遇を受けた。彼はその後、再びアメリカに渡り、荒野を開拓して移民の集落を作り、土地の特産物を詳しく調査して帰還した。ところが帰還後まもなく、王妃が崩御された。コロンブスは王妃の知己の恩を感じて悲しみに耐えず、まもなく病死した。享年61。時に西暦1506年、わが永正3年のことである。
 コロンブスの世紀の大発見は、多くの人びとの妬みを招いた。コロンブス本人に向かって、こんなことを言う者さえあった。
「あなたが新大陸を発見できたのは、運がよかっただけのことだ。大したことではない。」
 コロンブスは言った。
「そうかもしれん。それなら、君、机の上に卵を立ててみせてくれないか。」
「そんなこと、できるわけなかろう。」
 コロンブスはそこで卵を手に取ると、端の部分をつぶして、机の上に立てた。
「そんなことなら、私にもできる。」
 コロンブスは笑って答えた。
「そのとおり。みんなそこに目を付けないから、できない。目を付けさえすれば、わけなくできる。私がアメリカ大陸を発見できたのも、同じ理屈だよ。」

2002年8月31日公開。