姓・号 | 安積 艮齋(あさか ごんさい) |
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生没年(享年) | 寛政2年(1790年)- 万延元年(1860年) (71歳) ただし、生年については諸説あり。 |
諱(いみな) | 信(しん)または重信(しげのぶ) |
字(あざな) | 子順(しじゅん)または思順(しじゅん) |
通称 | 祐助(ゆうすけ) |
雅号 | 艮斎(ごんさい)、見山楼(けんざんろう) |
謚(おくりな) | |
出身地 | 岩代国安積郡郡山(現在の福島県郡山市) |
師の名 | 林述斎、佐藤一斎 |
官職等 | 二本松藩儒、昌平黌教授 |
代表的著作 | 艮斎文略(7巻、続編3巻) 洋外紀略(3巻) 遊豆紀勝(1巻) 艮斎文集(15巻) |
伝記: 艮斎は幼時から学を好んだ。16歳で今泉家に婿養子に入ったが、妻と合わず1年ほどで去る。17歳のとき発憤して江戸に上り、林述斎・佐藤一斎らについて苦学した。文化14年、24歳で、神田駿河台に塾を開く。 41歳のときに著書『艮斎文略』で大いに文名があがり、43歳で二本松藩儒となる。このころ渡辺崋山、高野長英ら、蛮社のメンバーと親交があったことが知られている。 嘉永4年、61歳で幕府儒官・昌平黌教授となる。 学識をしたって入門を請うものが跡を絶たず、門人は二千人をこえたといわれる。門人の中から、栗本鋤雲、小栗忠順、川路聖謨、岩崎弥太郎、中村敬宇ら逸材が輩出した。 | 2002年6月30日公開。 |