日本漢文の世界


閣龍傳解説

サンタマリア号(神戸) 日本漢文の世界
神戸のメリケンパークにあるサンタマリア号の復元帆船(2002年5月4日撮影)。

 この復元帆船は、コロンブスの航海500周年を記念して作られ、スペインのバルセロナから神戸まで、実際に290日間の航海をしました。航海終了後、神戸のメリケンパークで屋外展示されています。後ろに見える赤い鉄塔は、神戸港のシンボル、「ポートタワー」です。
 サンタマリア号は、コロンブスの第一回航海時の旗艦で、全長約35メートル、重量約250トンだったといわれますが(約100トンという説もある)、復元帆船を間近に見れば、あまりにも小さいことに驚きます。こんなちっぽけな船で、よくぞ大西洋を渡ったものです。(※メリケンパークで展示されていたサンタマリア号は老朽化のため、2013年7月に解体されました。)
 コロンブスは、「シパング(日本)」を目指していました。『コロンブス航海誌』(岩波文庫)にも、何回も「シパング」が出てきます。しかし、「シパング」は、西回り航路で行くには遠すぎました。

 クリストファー・コロンブス(Christopher Columbus、スペイン名は、クリストバル・コロンCristobal Colon、1451-1506)については、アメリカ大陸を発見した航海者として、知らない人はいないでしょう。ただ、四回にわたる航海のうち、輝かしい成功は第一回の新地発見だけで、その後、彼が殖民地経営の失敗等で苦難の後半生を送ったことは、意外と知られておりません。艮斎先生のこの文章でも、コロンブスの生涯の輝かしい面だけが描かれています。

 この文章の中に「コロンブスの卵」の逸話が出ていることには、非常に興味をそそられます。「コロンブスの卵」は成語として国語辞典にも載っており、「誰にでもできることでも、最初にやるのはむずかしい」という意味だと解説されています。「コロンブスの卵」の話は、たいがいの方が、子どもときに偉人伝で読んだことがあるはずで、「コロンブス」と聞けば「卵」が思い浮かぶ方も多いと思います。ところが、この話は出所不明で、『コロンブス航海誌』(岩波文庫)や、『コロンブス提督伝』(コロンブスの次男エルナンド・コロン著、訳書は朝日新聞社刊)はもちろん、欧米人の書いたコロンブス伝には、まったく出てこないのです(もちろん全部見たわけではありませんが)。「コロンブスの卵」が成語になっているのも、わが国だけみたいです。私は、艮斎先生のこの文章こそが、「コロンブスの卵」の逸話をわが国に流布させた元だと思っています。艮斎先生は、高野長英ら蛮社の人びとから聞いた「卵」の話を伝記に書き、それが先生の文名を慕う人びとの間で流布していった。そして、いつしか「コロンブスの卵」なる成語までできていた、というのが私の仮説です。

※「コロンブスの卵」は、イタリアのベンゾーニが1565年に著した『新世界の歴史』という本に初めて出てくるそうです。しかし、これはイタリアの建築家ブルネレスキの逸話を借用したものだと、あるかたがメールで教えてくださいました。(2004年2月)

卵を立てることについて(余談)

コロンブスの卵 日本漢文の世界
写真は、わが家の食卓に立てた卵(2002年6月29日撮影)

 ここからは完全な余談になります。

 「コロンブスの卵」は、ゆで卵だったのでしょうか、それとも生卵だったのでしょうか。もし生卵であったら、尻の部分をつぶしたりしなくても、卵は直立します。時間をかけて挑戦すれば、だれにでもできるのです。(「コロンブスより上手な卵の立たせ方」ガリレオ工房編、河出夢新書、60ページ)

 中国では、端午節の正午に卵が立つという俗信があり(「端午立蛋」といいます)、現在でも端午節(中国では旧暦で祝うので6月初め)になると、各地で「卵立て大会(立蛋比賽)」が催されるそうです。600余の卵を一斉に立てたという記録まであります。こうなると、卵が立つなんて、ちっとも珍しくありません。世界は広いですね。

2002年6月30日公開。2004年3月7日一部追加。2014年11月15日一部追加。