養老公園碑
依田 學海
皇帝御極の十三年、海內は寧謐、朝野は殷富にして、百廢悉く擧ぐ。
是に於て岐阜縣多藝郡の耆紳相議し、公園を置かんことを官に請ふ。蓋し皇上と民と偕に樂しむの意を承くる也。是の歳十月養老公園成る。耆紳等大に宴席を開き、縣官・名士・豪族を會して之を落す。
按ずるに元正天皇、養老元年、多度山に幸して美泉を觀たまひ、明年再び幸す。後廿餘年、聖武天皇伊勢に幸し、轉じて美濃に入りて之を觀たまふ。從臣大伴東人・大伴家持歌を獻ず。載せて萬葉集に在り。
嗚呼。二聖萬乗の尊を以て、崎嶇の路を經たまひし者は、豈に遠遊を事とし耳目の欲を縦にするものならん乎。蓋し將に靈境を闢き勝區を捜し、衆庶と其の歡樂を偕にせんとする也。
此の地は茂林蓊葱し、花卉點綴す。巖石は必ずしも凌厲ならざるも、秀潤・遒逸なり。飛泉は必ずしも激越ならざるも、演深・清冽なり。高きに憑りて望めば、峰巒重疊し、翠色掬す可し。是れ濃・勢の二州也。東北は一望平曠にして、良田は萬頃たり。素練邨落・林叢に隱現す。是れ揖斐・長良・木曾の三大川也。鸞輿の臨幸、名を史篇に留むるも、亦宜ならず乎。
寶暦中に州人・岡本某、千歳樓を此に築き、以て遊息の處と爲す。四方の過客、時を以て來り賞す。其の名天下に聞こゆること、蓋し百數十年なり。
棟宇は朽壞し、柱楹は傾欹す。加ふるに林樹の剪伐、道路の榛蕪を以てし、二聖の靈蹟を求めんと欲するも、得可らざる也。是に於て本郡の耆紳相謀り、其の数千金を醵して、大に土木を興す。荒廢を修治し、橋梁を架設し、花卉を補植し、泉脈を疏通す。樓臺は則ち其の梁桷を更め、亭榭は則ち其の欄楯を理め、傾く者は扶けて之を直し、缺る者は易へて之を新にす。十三年一月を以て工を創め、十月に至りて功を竣ふ。是れ吾が聖上の洪恩の逮ぶ所と雖も、而も亦未だ嘗て耆紳諸子の克く厥の績を成すに由らずんばあらざる也。
十八年七月、余西京に遊び、歸途過りて養老の山に登り、千歳樓に宿すること三日。觀瀑記を作りて、詳しく其の勝狀を載す。然れども未だ公園建設の始末に及ばず。
今や相距ること十三年、耆紳等協謀し、碑を公園に建て、以て開創の功を誌さんと欲し、人をして來りて余の文を求めしむ。
嗚呼。郡縣皆公園を置き、勝景を以て著れざるもの莫し。而るに其の一千有餘年の聖蹟を留むる者は、此の園のみ然りと爲す。余安んぞ銘して之を傳へざるを得ん。銘に曰く
多度の山 欝茲として秀潤
養老の泉 甘きこと美醞の若し
菊水清洌にして 盛夏には冰を嚼む
病を愈し痛を除くは 宿酲を解くに同じ
翠華巡遊し 異境益顯はる
聖言褒揚し 古典に煥燦たり
濃に孝子有りとは 稗史の傳ふる所なり
親を養ひ旨きを供して 斯の美泉に酌む
眞假は究むること勿れ 芳萬古に流る
事は名教に關はる 豈に齊語に比せんや
公園始めて闢き 衆庶歡娯す
山は祥靄を吐き 泉は靈珠を沸かしむ
遊べ息へ 是の偉迹に于て
茲に銘辭を撰び 永く貞石に勒す
2014年11月15日公開。