明治の国力膨張期の、高揚した気分を感じさせる作品です。我が海軍の優秀さを顕彰しています。
読みどころは、我が戦艦富士が、ヴィクトリア女王の観艦式で完璧な操縦をして各国の喝采をあびたところと、巨艦としてはじめてスエズ運河を通過したところです。これらのことは、当時後進国とみられていた我が国にとって、世界の注目をあびる快挙でありました。学海先生は、軍艦の回航という非常に近代的な事柄を、たくみに漢文で表現しています。その筆の冴えがすばらしい。
私は、この文章に書かれている観艦式とスエズ通過について、もっと詳しいことが分からないかと思い、インターネットや図書館で調べてみたのですが、この文章に書いてある以上のことは結局分かりませんでした。「明治は遠くなりにけり」です。
※仙台の野崎さんから、明治ころの観艦式や軍艦について教えていただきました。以下にその一部を掲載させていただきます。(2002年3月11日)
海軍史研究家・大井昌靖さんのご教示により、現代語訳・語釈の一部を修正しました。(2020年11月6日)。今の観艦式は海上保安庁もそうですが、時間の節約ですれちがうだけになりました。ビクトリア時代の観艦式は軍艦が錨泊位置に並列して並び、君主が王室専用ヨットか御召し艦で艦列の間を答礼しながら回る優雅なものでした。日本では昭和15年「(日本)紀元2600年記念観艦式」が最後で、長門・陸奥以下の艦列が戦艦比叡を御召し艦として観閲されました。
富士を先頭に朝日・初瀬・八島・敷島・三笠の戦艦6隻が英国から全て引き渡されたのが1902年、丁度100年前です。三笠は日本海海戦の旗艦として今も横須賀に保存されており、敷島は「敷島艦行進曲」という日本を代表する行進曲のモデルとなりました。初瀬・八島は日露戦争で戦没、朝日は工作艦として太平洋戦争で戦没しますが、富士・敷島は練習艦となり、最後は敗戦後に除籍・解体されました。
2001年8月5日公開。2002年3月17日一部追加。2020年11月6日一部修正。