山本 梅崖
吾が友・中江兆民が放言集の刻成る。蓋し當世の得失を諷する也。人をして一讀して頤を解き、再讀して噴飯し、三讀して絕倒し、以て其の言の愈出でて愈放なるに驚かしむ。
夫れ兆民は酒を以て命と爲す。終日酣飲し、日として醉はざる莫し。而して坦蕩宏放、禮節に拘はらず。酷だ阮嗣宗の人と爲りに肖る。是を以て世人多く其の人と言との放を稱して、而も其の人と言との大いに放ならざるを知らず。蓋し之を迹に求めて、之を心に求めざるを以ての故也。英雄の志、豈に迹を尋ねて得らる容けん耶。
夫れ嗣宗の人と爲りを以てするも、母の喪を執るに及んで、血を嘔くこと数升、毀瘠骨立し、殆ど性を滅するに致れり。是れ固より至性より出づ。禮節を尚ぶの士の、亦能くする所にあらず。兆民が尊翁歿して已に年有り。忌辰に丁る毎に、老萱の膝前に坐して、大聲號泣し、自ら禁ずる能はず。近日又老萱を喪ふ。唯に嘔血骨立のみならず。是れ殆ど五十にして慕ふ者か非耶。安んぞ知らん、其の放の大なる者は、其の放ならざるの大なる者に非ざるを。所謂文を主として譎諫する者は、吾『放言集』に於て之を徵せん。
嗚呼。世に伯樂無し。兆民其の人の若きをして、空しく放を以て掩はしめんと欲す。悲しい夫。
2007年7月16日公開。