明治25年(1892年)に刊行されたという中江兆民の文集。幻の文集であり、未発見である。
中江兆民(1847-1901)は、土佐藩出身の有名な自由民権家。字(あざな)は篤介(とくすけ)。兆民は号。明治4年(1871年)フランスへ留学し、帰国後、「仏学塾」を開いた。『東洋自由新聞』、『自由新聞』等で自由民権を鼓吹し、ルソーの『民約論』を漢訳して『民約訳解』として発表した。しかし、明治20年(1887年)に突然発布された「保安条例」で東京から退去を命じられ、大阪へ移った。大阪では『東雲(しののめ)新聞』を創刊し、健筆を振るった。この大阪時代に、大阪の志士・山本梅崖先生とも交流があった。明治23年(1890年)、第一回衆議院選挙に全く選挙運動なしで当選したが、このころより自由民権運動が退潮し、兆民は変節した同志たちに失望して国会を去り、北海道へ向かった。そこで、実業を起こすなど、一時政界から去ったが、実業家としては成功できなかった。明治34年(1901年)、喉頭癌で余命一年半との宣告を受け、『一年有半』を執筆した。これは痛烈に当時の社会を批判したもので、「生前の遺書」としてベストセラーとなった。ついで出版された『続一年有半』は「無神無霊魂」を副題とし、独特な唯物哲学を展開したもので、明治哲学史上特筆されるべきものである。岩波書店から『中江兆民全集』が刊行されている。
「刻成る」とは出版したということ。昔は本を出版するには、木版を彫って、その版木が完成してから出版できる状態になるので、「刻成る」とは版木が彫りあがったというのが原義。
今の世の中。
利害。優劣。
諷刺する(それとなくそしる)こと。
「頤(おとがい)」とは「したあご」のこと。大口をあけて、大笑いする。つまり、心から大笑いすること。
「食事中に失笑して、食べているものを噴き出す」ということ。そのくらい大笑いすること。
大笑いして倒れこむこと。
奔放であること。ものごとに拘わらないこと。
使命。
痛飲すること。さかんに酒を飲むこと。
心が広く、率直であること。
小さなことにこだわらないこと。
阮籍(げん・せき)のこと。嗣宗(しそう)は、その字(あざな)。阮籍(210~263)は、三国時代・西晋の人で、「竹林の七賢」の一人。豪放な性格で、道徳を無視し、自然虚無の説を唱えた。服装なども無頓着で、頭は寝乱れ髪、帯はだらしなくしどけていた。のちに良家の子弟までがその風に倣ったという。兵部校尉となったため、阮歩兵と称せられた。『詠懐詩』、『達荘論』などの著作がある。
「跡」と同じで、行動した結果(事跡)のこと。ただし、ここでは、表面の行動として現れた事跡。
喪に服して、悲しみのあまり、体が痩せ衰えること。
やせ衰えて骨ばかりになること。
喪に服して、悲しみのあまり、病気になること。「嘔血数升、毀瘠骨立、殆致滅性。」は、晋書・阮籍伝からの引用。
真摯で純朴な性質。
父上。尊父。
忌日(きじつ)ともいう。命日のこと。
老母。萱(けん xuān)とは「わすれぐさ」のことで、昔母親の部屋の前に植えたことから、母親を表すようになった。
膝下(しっか)に同じ。眼前ということ。
五十歳になっても親のことを慕っているということから、非常に親孝行であること。孟子の万章章句上に「大孝終身慕父母。五十而慕者、予於大舜見之矣。(大孝は終身父母を慕う。五十にして慕う者は、予、大舜に於て之を見る。)」とある。
物事の形容を借りて、遠まわしに諌(いさ)めること。詩経の序に「上以風化下。下以風刺上。主文而譎諫。言之者無罪。聞之者足以戒。(上=かみ は以て 下=しも を風化し、下は以て上を風刺す。文を主として譎諫す。之を言うに罪無く、之を聞けば、以て戒むるに足る。)」とある。
明らかにする。証明する。
周の時代の名馬を見分ける名人の名前。そこから転じて、人の才能を見分けて活かしてくれる為政者のこと。韓愈の雑説に「世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有、而伯楽不常有。(世に伯楽有りて、然る後に千里の馬有り。千里の馬は常に有れども、而も伯楽は常には有らず。)」とある。
ここでは、有り余る才能を持ちながら、それを認めて用いてくれる人がないために、「放」(奔放なふるまい)で才能を覆い隠してしまうこと。韜晦(とうかい)すること。
2007年7月16日公開。