日本漢文の世界


遊濱名湖記解説

 内田遠湖先生が昭和9年(1934年)に書いた『遊濱名湖記』です。これは小冊子として出版されました。当時、先生は喜寿(77歳)、老成の域に入っています。

『遊濱名湖記』口絵 日本漢文の世界
『遊濱名湖記』口絵

 小冊子の口絵として万楽館と館山寺(舘山寺)の絵が載せてあります。これらの画は水墨画のようで、「景湖」と署名されていますが、「景湖」という画家については詳細不明です。
 昭和9年(1934年)9月2日、郷里の浜松へ帰郷していた遠湖先生のもとへ、客が訪ねてきて、浜名湖で舟遊びをしようと誘います。そこで小舟を雇い、浜名湖南岸の舞坂から、北岸の佐久米まで舟で周遊したのです。舞坂を出たのが巳の刻(午前10時頃)、佐久米に着いたのが正午なので、舟に乗っていたのは2時間程度に過ぎませんが、その間に舟から見える風景について詳述しています。

 私たちは平成29年(2017年)11月10日、現地視察をしてきました。
 遊覧船に乗船すると、当時遠湖先生が楽しんだ風景を現代の私達も疑似的に楽しむことができます。

浜名湖の遊覧船 日本漢文の世界
浜名湖の遊覧船
2017年11月10日撮影

 現代の遊覧船は東岸の舘山寺から北部の猪鼻湖入口まで行って引き返してくるという航路で、養鰻池(いまも形を変えて存在しているようです)などは見ることができないものの、見せ場となっている礫島や猪鼻瀬戸は間近に見ることができ、北岸の佐久米も遠望できます。

浜名湖の釣り舟 日本漢文の世界
浜名湖の釣り舟
2017年11月10日撮影

 広々とした湖の中心に出ていくと、まわりは水ばかりですが、ところどころに釣り船が浮かび、遠湖先生が思わず歌い出した当時と同じ光景が広がります。

浜名湖の礫島 日本漢文の世界
浜名湖の礫島 日本漢文の世界
礫島
2017年11月10日撮影

 礫島への上陸を遠湖先生は書いていますが、岩ばかりの島で小舟でなければ接岸できないと思われます。もちろん現代の遊覧船からは上陸できず、見るだけです。

猪鼻瀬戸の獅子岩 日本漢文の世界
猪鼻瀬戸の獅子岩(橋の下に見える奇岩)
2017年11月10日撮影

 猪鼻瀬戸および獅子岩も、遊覧船からは見るだけとなりますが、かなり接近しますので、よく見えます。遠湖先生が書かれているとおり、不思議な形の獅子岩は今も健在です。

浜名湖俯瞰 日本漢文の世界
浜名湖俯瞰(大草山展望台より)
2017年11月10日撮影

 浜名湖について少し説明しておきましょう。浜名湖は静岡県にある巨大な湖です。遠湖先生がこの文章の冒頭に書かれているとおり、かつて琵琶湖を「おうみ」(「おうみ」とは「淡海」で、淡水湖という意味)というのに対し、浜名湖は都から「遠いおうみ」という意味の「とおとうみ」と呼ばれていました。浜名湖は琵琶湖とともに江戸と京都を結ぶ旧東海道沿いにあり、知名度も重要度も琵琶湖に次ぐ日本第二の湖です。しかし意外なことに面積では日本の湖の中で10番目です。

(参考) 日本の湖の面積
順位 湖沼名 面積(km2) 所在地
1 琵琶湖(びわこ) 670.25 滋賀県
2 霞ヶ浦(かすみがうら) 167.63 茨城県
3 サロマ湖(サロマこ) 151.82 北海道
4 猪苗代湖(いなわしろこ) 103.32 福島県
5 中海(なかうみ) 86.16 島根県・鳥取県
6 屈斜路湖(くっしゃろこ) 79.59 北海道
7 宍道湖(しんじこ) 79.08 島根県
8 支笏湖(しこつこ) 78.40 北海道
9 洞爺湖(とうやこ) 70.74 北海道
10 浜名湖(はまなこ) 64.97 静岡県

 「とおとうみ」は「とお(遠)つおうみ(淡海)」の省略形で、浜名湖は「とおとうみ」の名前のとおり、かつては淡水湖でした。ところが、明応7年(1498年)の大地震によって生じた津波により、海と湖を隔てていた堤防が決壊し、そこから海水が湖へ流入して、浜名湖は汽水湖(海水と淡水がまじりあった湖)となってしまいました。この決壊部分は「今切(いまきれ)」または「今切口」と言われる幅200メートル程度水路となっています。(埋め立てる前の「今切口」の幅は約1キロメートルあったそうです。)

舘山寺ロープウェー 日本漢文の世界
舘山寺ロープウェー
2017年11月10日撮影

 浜名湖は複雑な形をしており、「猪鼻湖」「庄内湖」という支湖、「引佐細江(いなさほそえ)」「松見が浦」「内浦」という支湾があり、風光はすばらしく、観光のためのロープウェーや遊覧船なども充実しています。

浜名湖のうなぎ 日本漢文の世界
浜名湖のうなぎ(「浜の木」にて)
2017年11月10日撮影

 そして、浜名湖はウナギの養殖で有名です。浜名湖でのウナギ養殖は明治33年(1900年)に始まったとのことで、「遊浜名湖記」にもウナギ養殖のための「養鰻池」についての記述があります。ウナギの養殖は百年以上にわたって改良を加えながら続けられ、浜名湖のウナギは高級食材として有名です。

万楽館 日本漢文の世界
万楽館(『静岡県引佐郡郷土写真帖』昭和10年)
浜松市立中央図書館提供

 最後に、佐久米にあった「万楽館」というリゾート旅館に触れておきます。「遊浜名湖記」にあるとおり明治44年(1911年)頃に建てられ、大正12年(1923年)には新館を落成して、「海水浴旅館」として繁盛していました。昭和9年(1934年)に遠湖先生が宿泊した当時、万楽館は奥浜名湖(浜名湖の北側)随一の旅館でした。

万楽館 日本漢文の世界
万楽館広告(毎日新聞 昭和31年8月10日8面)
浜松市立中央図書館提供

 万楽館は戦後も経営を続けていました。昭和31年(1956年)8月10日の毎日新聞静岡版8面に「8月10日新築開館」として「松風園万楽」の広告が掲載されています。

万楽館記事 日本漢文の世界
万楽館記事(えんてつ 1969年3月号)
浜松市立中央図書館提供

 昭和44年(1969年)3月、万楽は遠州鉄道によって買収されました。当時の遠州鉄道の社内報「えんてつ」1969年3月号の6ページには次のように書かれています。
「万楽は、奥浜名湖の中でもとりわけ美しい白砂、青松の連なる佐久米海岸にあって、古来よりの海水浴、観月、湖畔散策の名所として有名で、浜名湖畔随一のいこいの宿として内外に知られております。収容能力も奥浜名湖の旅館(現在約十五軒)中では最大です。
 建物は二階建てで、客室は十一室、六十畳の舞台付宴会場もあり、収容能力は約五十人です。その他、庭園の美しさも旅情をなぐさめてくれます。」
 ところが、遠州鉄道による買収からわずか2年後の昭和46年(1951年)6月に万楽は廃業となり、歴史の舞台から姿を消してしまいました。残念ながら、かつての有名リゾート旅館「万楽」の記憶を留めるものは、現在もはや何も残っていないようです。(「万楽館」の項は、浜松市立中央図書館の御協力をいただきました。)

2021年1月31日公開。