日本漢文の世界


遊濱名湖記語釈

濱名湖(はまなこ)

静岡県にある湖。海水と淡水の混じった汽水湖である。

琵琶湖(びはこ)

滋賀県にある日本最大の湖。

淡海(あふみ)

「淡海」は「あは+うみ」であり、淡水湖の意である。

京師(けいし)

天子(天皇)のいる都(みやこ)。ここでは京都のこと。

近淡海(ちかつあふみ)

京都に近い淡水湖という意。むかし琵琶湖をこう呼んでいた。

遠淡海(とほつあふみ)

京都から離れた淡水湖。むかし浜名湖をこう呼んでいた。

明應中(めいおうちう)

明応7年(1498年)。

海嘯(かいせう)

津波。

南涯(なんがい)

南側の岸辺。

七十五里洋(しちじふごりやう)

遠州灘の俗称。遠州灘は伊勢志摩の鳥羽から伊豆の下田までで、海上七十五里と呼ばれ、海の難所として知られていた。

今切湖(いまきれこ)

浜名湖の別名。

灣澳(わんいく)

湾曲した水際。湾。

舞阪(まひさか)

現在の静岡県浜松市西区舞阪町。江戸時代は幕府直轄領で、東海道五十三次の「舞坂宿」という宿場町であった。今切口をはさんだ対岸の新居との間には「今切の渡し」という渡し舟が置かれていた。

新居(あらゐ)

現在の静岡県湖西市新居町。江戸時代は幕府直轄領で、東海道五十三次の「新居宿」という宿場町であり、新居関所(今切関所)が置かれていた。現在も関所の建物等の遺構が保存されており、国の特別史跡に指定されている。

辨天島(べんてんじま)

舞阪町と新居町の間にある島。舞阪町に属している。現在は海水浴等のリゾート地になっている。もともとは砂州であったが、江戸時代中期以降に土木工事を行い4つの島になった。昭和初期に行われた埋め立て工事により、現在では1つの島となっている。

北涯(ほくがい)

北側の岸辺。

三箇日(みつかび)

現在の浜松市北区三ヶ日町。江戸時代の街道は、浜名湖南側の今切を通る東海道の本街道と、浜名湖の北側を通る姫街道があった。三ヶ日は姫街道の宿場町であった。

氣賀(きが)

現在の浜松市北区細江町気賀。姫街道の宿場町。気賀関所が置かれていた。

斗出(とうしゆつ)

突き出していること。

大崎(おほさき)

三ケ日にある半島で、猪鼻湖の東岸である。

猪鼻湖(ゐのはなこ)

浜名湖北西部にある支湖。浜名湖とつながる部分は「猪鼻瀬戸」と呼ばれ、大崎半島と本城山に挟まれている。猪鼻瀬戸附近に獅子岩という岩でできた小島がある。

引佐(いなさ)細江(ほそえ)

浜名湖北東部の支湾。

佐久米(さくめ)

浜松市北区三ヶ日町佐久米。佐久米海岸に臨む風光地であり、多くの旅館やホテルがある。

萬樂館(まんらくくわん)

佐久米にあった旅館。明治末年に開業し、佐久米随一のリゾート旅館として昭和46年まで営業していた。

昭和(せうわ)辛未(しんび)

昭和6年(1931年)。

濱松(はままつ)

現在の静岡県浜松市中区。ここでは浜松市全域ではなく浜松城下町の地域のこと。

巳牌(しはい)

巳(み)の刻。午前9から午前11時までの間。

舞阪(まひさか)北浦(きたうら)

弁天島の地名。

雄踏橋(ゆうたふはし)

雄踏(浜松市西区雄踏町)と村櫛村を結んでいた橋。現在は浜名湖大橋の一部となっている。

村櫛(むらくし)(むら)

現在の浜松市西区村櫛町。

養鰻池(やうまんいけ)

浜名湖湖畔に掘られた鰻を養殖するための池。

養魚池(やうぎよいけ)

鰻以外の魚を養殖するための池。

頡頏(けつかう)

同程度であり優劣がないこと。

湖心(こしん)

湖のまんなか。

彌望(びばう)

広く見渡すこと。

澄波(ちようは)

「清波」に同じ。清く澄んだ波。

一碧(いつへき)

湖の水が見渡す限り青々と広がっていること。

飛鴻(ひこう)

空を飛ぶ雁(がん)。

滅没(めつぼつ)

見えなくなること。

目力(もくりよく)

視力。

胸次(きようじ)

胸の内。心情。

神氣(しんき)

精神。

翛然(せうぜん)

自由自在で超然とした様子。

扁舟(へんしう)

小舟。

遠湖(ゑんこ)

浜名湖。

天妃(てんひ)

天后、媽祖とも称される中国の海神(女神)。礫島に祀られる弁財天や、猪鼻湖神社に祀られる市桙姫命(いちきしまひめのみこと)を指している可能性がある。

長洲(ちやうしう)

湖などに長く突出した陸地。礫島は通常いうところの長洲には当たらないが、長細い島なのでこれを「長洲」と称している可能性はある。
また、「長洲」は道教の仙境である十洲(祖洲、瀛洲、玄洲、炎洲、長洲、元洲、流洲、生洲、鳳麟洲、聚窟洲)のうちの一つなので、現実世界の地名ではなく、架空の仙境を想像している可能性もある。

館山(くわんざん)

舘山寺のこと。

高秋(かうしう)

空が高く晴れ渡る秋。

(えい)(あら)

高潔な生き方をすること。「纓」とは冠のひものこと。「纓を濯ふ」は、屈原の『漁父辞』(ぎょほのじ)にある次の詩に基づく。

滄浪之水清兮、可以濯吾纓。
滄浪之水濁兮、可以濯吾足。

滄浪の水清まば、以て吾が纓(えい=冠のひも)を濯(あら)ふ可し。
滄浪の水濁らば、以て吾が足を濯ふ可し。

滄浪(川の名前ですが世の中に喩える)の水が澄んでいたら(つまり世の中に正義が行われていれば)、冠のひも(きれいなものの象徴)を洗う・・・つまり高潔な生き方をする
逆に滄浪の水が濁っていたら(つまり世の中が腐敗堕落していたら)、足(きたないものの象徴)を洗う・・・つまり自分も泥まみれの汚い生き方をする

清流(せいりう)

綺麗に澄み切った水の流れ。転じて清廉潔白な人のことをもいう。

魚鰕(ぎよか)

さかなとエビ。魚類をいう。
蘇軾の『前赤壁賦』に「侶魚鰕而友麋鹿」(魚鰕を侶とし麋鹿(ビロク)を友とす)とある

(とも)とす

仲間にする。魚鰕を侶にするとは、自然を楽しむ生活を送ること。

悠悠(いういう)

ゆったりとくつろいだ様子。

礫島(つぶてじま)

浜名湖北部にある無人島。

拳石(けんせき)

小石。

小祠(せうし)

小さな祠。弁財天を祀っている。

去歳(きよさい)

昭和5年(1930年)に昭和天皇は浜松市の井伊谷宮に御幸あそばされている。

井伊谷(ゐいのや)

井伊谷宮(いいのやぐう)は、静岡県浜松市北区の井伊谷にある神社。

賞覽(しやうらん)

ごらんになる。

(きよ)

こしかける。

雙眸(さうぼう)

両眼。

灝氣(かうき)

天地に満ちる大気。

(ひと)(おそ)

風や空気、匂いなどに、ふいに包まれること。

浩然(かうぜん)

ゆったりした様子。

神往(しんわう)

うっとりと魅了される。

流憩(りうけい)

あちらこちらを見回ったり休憩したりする。

(けふ)

山と山に挟まれた水路。

猪鼻(ゐのはな)瀬戸(せと)

浜名湖の支湖である猪鼻湖と浜名湖は、幅120メートルほどの猪鼻瀬戸(瀬戸水道とも)で接している。

鹹水(かんすい)

塩分を含んだ水。

淡水(たんすい)

塩分をほとんど含まない水。真水。ただし、猪鼻湖は実際には汽水湖であり、淡水湖ではない

獅子巖(ししいは)

猪鼻瀬戸にある岩でできた小島。

晴空(せいくう)

よく晴れた空。

景明(けいめい)

日差しが明るいこと。

滉瀁(くわうやう)

水に光が反射してたゆたうこと。

峰巒(ほうらん)

大小の山々。

妍美(けんび)

うつくしいこと。

(たつ)

宮中の小門。「闥を排する」とは、門を開くこと。

(たい)

青黒い色。

(べう)

はてしなく広がる様子。

(ちぢ)

ちぢこまる。

()(もん)

地文(ちもん)は天文(てんもん=天体の現象)に対して、山や海の様子など地上の自然現象をいう。

繡錯(しうさく)

まるで刺繍のように色彩が交錯していること。

館山寺(くわんざんじ)

正式には「舘山寺」と表記する。浜松市西区にある曹洞宗寺院。

峭立(せうりつ)

険しく直立している。

林麓(りんろく)

林間の山麓。

濃翠(ぢようすい)

深緑(ふかみどり)色。

(はやし)鶴梁(かくりやう)

林鶴梁(1806-1878)は、幕末の儒学者で幕臣であった。『鶴梁文抄』『鶴梁日記』が有名である。

亭午(ていご)

正午。

矢野(やの)龍溪(りうけい)

矢野龍渓(1851-1931)は、古代ギリシアに材を採った政治小説『経国美談』の著者として有名であるが、郵便報知新聞社長、大阪毎日新聞副社長も務めたジャーナリストでもある。多くの小説・随筆等を著作している。

風光(ふうくわう)

風景。

環湖(くわんこ)

浜名湖の周辺一帯。

懷古(くわいこ)

昔を懐かしむこと。

濱名(はまな)(はし)

平安時代の貞観4年(862年)に、当時浜名湖から海へ注いでいた浜名川に架けられた橋。

三代(さんだい)實録(じつろく)

『日本三代実録』のこと。平安時代に編集された勅撰の国史で、六国史の最後を飾る。清和天皇、陽成天皇、光孝天皇の三代の事績を記述している。

橋本(はしもと)(えき)

浜名橋のたもとが宿場町として栄えたもの。明応7年(1498年)の地震により、浜名湖と海がつながったときに、水没したという。

東鑑(あづまかがみ)

『吾妻鏡』のこと。鎌倉幕府の官撰史書。源頼朝から宗尊親王までの6代の将軍の事績を記述する。記録体といわれる変体漢文で記述されている。

本興寺(ほんこうじ)

静岡県湖西市鷲津にある法華宗陣門流の寺院。

本阪(ほんざか)(たうげ)

「本坂峠」のこと。姫街道にある峠。姫街道の難所といわれていた。

(ひめ)街道(かいだう)

浜名湖の北側にあり、本坂峠を経由して静岡県磐田市見附と愛知県豊川市御油町を結ぶ街道で、東海道の本街道の迂回路として利用されていた。

鵜津山(うつやま)

湖西市入出の宇津山のこと。廃城跡があるが、南北朝時代ではなく、戦国時代に今川氏が築城したものとされている。

大福寺(だいふくじ)

浜松市北区にある真言宗寺院。

弆藏(きよざう)

「藏弆」ともいう。書画等を収蔵すること。

源俊賴(みなもとのとしより)

平安時代後期の歌人。

西行(さいぎやう)

西行(1118-1190)は、平安後期の僧侶・歌人。『新古今集』の中心的歌人である。

方廣寺(はうくわうじ)

静岡県浜松市北区にある臨済宗方広寺派の寺院。

聖鑑(しやうかん)國師(こくし)

無文元選(1323-1390)の諡号(しごう)。無文元選は後醍醐天皇の子息といわれている。

宗良(むねよし)親王(しんわう)

後醍醐天皇の皇子である宗良親王(1311-1385)の名は長らく「むねなが」と読まれてきたが、正しくは「むねよし」である。若くして天台座主となったが、還俗して南北朝の争乱で転戦した。

刑部(おさかべ)

武田信玄は元亀3年(1572年)に三方原の戦いで徳川家康に勝利したあと、刑部城に滞在したと伝えられる。

武田(たけだ)晴信(はるのぶ)

武田信玄(1521-1573)のこと。甲斐(山梨県)の戦国大名。

雄踏(ゆうたふ)

結城秀康は遠江国敷知郡宇布見村で出生したとされるが、この「宇布見」は現在の雄踏町の一部である。

徳川(とくがは)秀康(ひでやす)

結城秀康(ゆうき ひでやす 1574-1670)のこと。、徳川家康の次男。将軍を異母弟の秀忠が継いだため、自身は結城氏を継いで越前(福井県)を治めた。

高石山(たかしやま)

「高師山」とも書かれる。万葉集、古今和歌集にも登場する名所であり、三河国(愛知県東部)と遠江国(静岡県西部)の国境にあったが、戦国時代の明応地震(1498年)で崩壊したと言われている。

引佐(いなさ)(たうげ)

姫街道にある峠。ここを通って眺望絶佳な尉ヶ峰(じょうがみね)へ登ることができる。

浦潊(ほじよ)

水辺。

彎環(わんくわん)

湾曲して丸くなっていること。

屈曲(くつきよく)

曲がりくねっていること。

林巒(りんらん)

山林。

一矚(いつしよく)

ひとたび注目すること。

渺茫(べうばう)

霧におおわれた水面が広がっている様子。

季年(きねん)

末年。

憩宿(けいしゆく)

リゾート旅館。

2021年1月31日公開。