日本漢文の世界

姓・号 内田 遠湖(うちだ えんこ)
生没年(享年) 安政4年(1857年)-昭和19年(1944年) (88歳)
諱(いみな) 周平(しゅうへい)
字(あざな) 仲準(ちゅうじゅん)
通称  
雅号 遠湖(えんこ)
謚(おくりな)  
出身地 静岡県浜松
師の名 島田篁村
官職等 慶應義塾大学文学部教授
代表的著作 遠湖文髄(4巻)
遠湖小品(2巻)
伝記:

 遠湖は明治8年(1875年)に上京し、壬申塾および東京外国語学校でドイツ語を学んだ後、明治10年(1877年)東京大学医学部予科へ進学した。この間、明治11、2年ころ島田篁村の雙桂学舎に1年ほど学んでいる。明治14年(1881年)には医学部本科に進んだが、明治17年(1884年)卒業を目前にして退学し、明治18年(1885年)2月に文科大学哲学科選科2年に入り、明治19年(1886年)卒業した。
 島田篁村には、文科大学でも教えを受け、卒業後も文章を見てもらったという。
 その後、塾を開いて漢籍を講じ、一方でドイツの詩を漢訳したものなどを雑誌に発表した。また明治22年(1889年)にハルトマン美学を日本で初めて紹介し、哲学館(現東洋大学)でもハルトマン美学を講じた。その後、慶應義塾大学に移り、漢学を講じた。
 明治44年(1911年)「南北朝正閏問題」が起こると、大日本国体擁護団を結成し、松平天行、牧野藻洲、犬養木堂らと協力して国定教科書改訂の運動を起こした。
 遠湖の学問は朱子学で、中でも気節を重んじる道学(山崎闇斎派の朱子学=崎門学)を尊んだ。崎門学では当代随一と称され、井上哲次郎博士が『朱子学派之哲学』を書いたとき、校閲を依頼されている。
 晩年には、『大正詩文』、『東洋文化』などの編集にも携わり、漢学の発展に尽くした。
2004年11月3日公開。

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