明治13年、作者・遠湖先生は24歳。東京大学医学部予科の学生でした。この文章は、浜松城の興廃を眼前にして、才気あふれる若者が感情を率直に吐露したもので、まことに名文です。
浜松城の歴史は、この文章に遠湖先生が書いているとおり徳川家康の居城でした。家康がここを拠点として武田信玄と戦い大敗した三方原の戦いについては、改めて解説するまでもないでしょう。
城の平面図は、浜松市のアーカイブにあります。
遠州浜松城絵図
天守閣は早い時代に失われたようですが、昭和33年(1958年)に復元されました。
明治の初め頃の城の様子は、今ではもう分からなくなっています。写真なども残っていないようなので、遠湖先生のこの文章は貴重な記録となっています。この文章では、遠湖先生が幕末に見た立派な城の様子と、それが明治維新後に荒廃した様子、廃藩置県後の浜松県による公園整備について書かれています。このわずかな期間の変化には誰しも慨嘆せざるを得ませんでした。遠湖先生は旧浜松藩士の子弟として、特別の感慨があったことは言うまでもありません。
現在もこの場所は公園(浜松城公園)です。昭和33年(1958年)に天守閣が復元されました。この復元された天守閣は鉄筋コンクリート造です。城の建物の中は資料の展示室、展望台となっています。
復元された浜松城天守閣
2017年11月10日撮影
浜松城天守閣内部の展示物
2017年11月10日撮影
浜松城天守閣からの眺め
2017年11月10日撮影
浜松城公園にある徳川家康像
2017年11月10日撮影
2022年8月31日公開。