日本漢文の世界


濱松城墟記語釈

壮嚴(さうごん)

荘厳に同じ。けだかく、おごそかであること。

英主(えいしゆ)

すぐれた君主。ここでは徳川家康のこと。

經畫(けいかく)

経営、計画すること。

(えき)

宿場町のこと。

殷富(いんぷ)

豊かで栄えていること。

東道(とうだう)

東海道のこと。東海道は江戸時代において江戸と京都を結ぶ重要な街道であった。

要衝(えうしよう)

交通などの重要拠点。

今切湖(いまきれこ)

浜名湖の別名。明応7年(1498年)の大地震によって生じた津波により、海と湖を隔てていた堤防が決壊し、そこから海水が湖へ流入して、浜名湖は汽水湖(海水と淡水がまじりあった湖)となった。この決壊部分を「今切(いまきれ)」または「今切口」という。

天龍川(てんりうがは)

長野県を源流とし、静岡県浜松市で太平洋にそそぐ一級河川。

三方(みかた)曠原(くわうぐゑん)

三方原(みかたはら)のこと。元亀3年12月22日(1573年1月25日)に武田信玄と徳川家康がこの値で戦い、家康が敗走した。「曠原」は「曠野」に同じく、広々とした野原のこと。

七十里(しちじふり)大洋(たいやう)

遠州灘。遠州灘は伊勢志摩の鳥羽から伊豆の下田までで、海上七十五里と呼ばれ、海の難所として知られていた。

形勢(けいせい)

土地の様子。地形。地勢。

往古(わうこ)

昔。古代。

牽馬野(ひくまの)

「ひくま」は遠州地方の古い呼び名で、引馬、引間、曳馬と表記されることもある。

萬葉集(まんえふしふ)

万葉集巻一に「引馬野ににほふ榛原(はりはら)入り乱れ、衣にほはせ旅のしるしに」との長忌寸奥麿(ながのいみきおきまろ)の歌を載せる。

和名抄(わみようせう)

『和名類聚抄』のこと。『和名類聚抄』の巻六、国郡部第十二 遠江国第七十八に「浜松」の地名があり、読み方が万葉仮名で「波万万都」と示されている。

(かう)博士(はかせ)

大江匡房(おおえのまさふさ,1041-1111)のこと。『金葉和歌集』に「百首歌の中に子日(ねのひ)の心をよめる 大蔵卿匡房」として、「春霞立ちかくせども姫小松ひくまの野べに我は来にけり」の歌がある。

(ぐゑん)将軍(しやうぐん)

源頼朝(みなもとのよりとも,1147-1199)のこと。『続後拾遺和歌集』の「羈旅歌」に「都より東へ帰り下りて後、前大僧正慈鎮のもとへ詠みて遣はしける歌の中に 前右大将頼朝」として、「かへる波君にとのみぞことづてし浜名の橋の夕暮の空」の歌を載せる。

勝概(しようがい)

勝景。すばらしい景色。

(かんが)

考証する。

永正(ゑいしやう)(ちう)

「永正」は、西暦1504年から1521年である。

三善(みよし)為連(ためつら)

鎌倉時代の武士・歌人。永正(1504~20)年間に曳馬城を築いたといわれている。

飯尾(いのを)(ぼう)

飯尾乗連(いのお かたつら)が今川氏親から曳馬城を与えられたとされる。

事蹟(じぜき)

歴史上の事件。

永禄(ゑいろく)十二年(じふにねん)

西暦1569年。徳川家康が曳馬城に入った年は1568年、1570年など諸説ある。

徳川(とくがは)照公(せうこう)

徳川家康(1543-1616)のこと。「照公」とは、家康は死後に日光東照宮に祀られたことから。

濱松(はままつ)

曳馬(ひくま)から浜松に改称した。城も浜松城と称することになった。

元龜(げんき)三年(さんねん)

西暦1572年。この年、武田信玄と徳川家康が三方原で戦い、家康が敗走した。

甲師(かふし)

甲州(甲斐の国=現在の山梨県)の軍隊。武田信玄の軍をいう。

()

落城させること。武田信玄の軍は浜松城を落城させることはできなかった。

(のち)六年(ろくねん)

その後の6年間。文末に築城の年を天正5年(1577年)としているが、その頃に築城がほぼ完成したのであろう。

城郭(じやうくわく)

城と城壁。

(ここ)(おい)

それによって。

(げふ)

事業。統治。

家兄(かくゑい)

作者の兄・内田正のこと。

三方原(みかたはら)

三方ヶ原(みかたがはら)ともいう。浜名湖から天竜川にかけて広がる洪積台地。

(えん)

軍事演習を行うこと。

當時(たうじ)

元亀3年(1572年)で、徳川家康と武田信玄が戦った三方原の戦いの時。

城櫓(じやうろ)

望楼。ものみやぐら。

(せい)

姿。ありさま。

懷古(くわいこ)

昔の時代を慕うこと。

()(のち)

明治維新の後。「厥」(クヱツ jué)は「其」(キ qí)と同じく「それ」を表す代詞。ここでは明治維新のこと。

藩公(はんこう)

明治元年当時に浜松藩主であった井上正直(いのうえ・まさなお,1837-1904)。

上總(かづさ)

明治元年に江戸幕府の最後の将軍であった徳川慶喜が将軍職を辞し、徳川家の家督は当時4歳の徳川家達(とくがわ・いえさと)が相続した。これにともない、徳川家が駿府に移封されたことにより、浜松藩主井上氏は上総(現在の千葉県中部)の鶴舞に移封となった。

移封(いほう)

大名の領地がえ。

臣屬(しんぞく)

家来。

頽𡉏(たいひ)

こわれて、くずれること。

荒烟(くわうえん)

荒野に立つ煙ということで、寂しい様子を表わす。

蔓草(まんさう)

つるくさ。寂しい様子を表わす。

(かべ)

「堞」(てふ dié)は背の低い城壁で、姫垣(ひめがき)ともいう。

四顧(しこ)

あたり一面。

悽涼(せいりやう)

悲惨な様子。

天主臺(てんしゆだい)

天守閣を建築するために、周囲より高くした土台。浜松城にも天守閣はあったが、早期に喪失したと言われている。

蒼烟(さうえん)

「烟」は「煙」に同じ。青いけむりということだが、木々が青く煙るように見えること。

隱見(いんけん)

見え隠れすること。

林藪(りんそう)

草木の茂った場所。

蛇蝎(だかつ)

ヘビとサソリ。日本にはサソリはいないが、ここでは忌み嫌われる野生動物のこと。

窟宅(くつたく)

(動物の)巣穴。

(よぎ)(もの)

通りすがりの者。

躊躇(ちうちよ)

ぐずぐずとしてしまうこと。

低回(ていくわい)

頭を垂れ、考え事をしてさまようこと。

廢藩(はいはん)(めい)

1871年(明治4年)7月14日に発せられた「廃藩の詔(みことのり)」。この改革は、藩を廃して県を置き、中央集権的統一国家を樹立するもので、西郷隆盛、木戸孝允らが隠密裡に準備したものとされる。

縣官(くゑんくわん)

廃藩置県により、浜松県が設置され、浜松は県都となった。県官とは県の役人のこと。

今茲(ことし)

文末に明治13年(1880年)とある。

城墟(じやうきよ)

城跡。

遊觀(いうくわん)

思うままに楽しみ見物すること。

凉榭(りやうしや)

茶屋。休憩所。

茶菓(さくわ)

茶と菓子。

(らん)

欄干。てすり。

疊波(でふは)

畳濤(じょうとう)とも。折り重なって寄せる波。

(ぎん)

銀色の波。

連疇(れんちう)

「疇」は畑のこと。畑が連なっている景色。

襟懷(きんくわい)

心の内。胸襟。

吟咏(ぎんゑい)

詩を詠(よ)むこと。

()

材料を提供する。

天正(てんしやう)五年(ごねん)

西暦1577年。時代区分では安土桃山時代です。

明治(めいぢ)六年(ろくねん)

西暦1873年。築城から約300年です。

封建(ほうけん)()

ここでは、徳川氏が支配した江戸時代のこと。

濠光(がうくわう)雉影(ちえい)

「濠」は城の堀のこと、「雉」はじょう壁のこと。これらに対する「光」と「影」がおりなす光景。「濠・雉」「光・影」の「互文」の技法で組み合わせている。

少小(せうせう)

幼時。

觀瞻(くわんせん)

見ること。

蕩然(たうぜん)

跡形もなくなるさま。

堙滅(いんめつ)

跡形もなく消えること。

遺構(いこう)

古い建築物。

(つひ)

最後には。とどのつまりは。

士遊女嬉(しいうぢよき)

「士・女」(男女)と「遊・嬉」(遊びたのしむ)を「互文」の技法で組み合わせた語。

(がい)

感慨無量となること。

創廢(さうはい)(よし)

築城および廃城の原因。

(ちよう)

証明する。証拠とする。

()

文末の「云」は「いふ」と訓読するが、特に意味はない。

明治(めいぢ)十三年(じふさんねん)

西暦1880年。

中澣(ちうくわん)

「中浣」とも。月の中旬。

2022年8月31日公開。