日本漢文の世界


採蕈記現代語訳

きのこ取りの話

土屋 鳳洲
 長雨がやっとあがって、空気もすがすがしい。私はきのこ取りに行きたくなり、ふらりと町を出た。数里歩いて山に入ると、松林はうっそうと茂り、草木の緑色はしたたるようである。こけむした山道は、長雨にむれている。そのとき、ほのかな香りに気づいた。私はわくわくしてきた。
「マツタケが近くにあるぞ。」
 ふとみると、きこりのじいさんが、籠を手に歩いてくる。じいさんも、きのこ取りに来たのだ。
 私はじいさんに先を越されてはならじと、草むらをかきわけて歩いていった。左右によく注意して、一歩一歩目を皿のようにしてマツタケを探した。ずいぶん時間をかけて探したが、一本も採れない。足は棒のようになり、うんざりしたので、松の根元のところで休憩することにした。すると、しばらくして、さっきのきこりのじいさんが、ゆっくりと歩いてきた。じいさんの籠には、溢れんばかりにきのこが入っている。傘を開いたような形のものや、かぶりがさのようなかたちのもの、繭のように丸いものなど、大きさや長さはさまざまだ。きのこの香りがツンと鼻をついた。
 私はじいさんに話しかけた。
「私は山に入ったとき、遅れを取ったら、きのこは採れないと思ったものだから、あなたより先に歩いて行きました。しかし、あせってみても歩き疲れるばかりで、結局きのこは一本も採れませんでした。」
 じいさんはうつむいて聞いていたが、これには答えず、上をむいてハハハハと大笑いした。「そのとおり」、と言いたいのだろう。
 この経験は、大事な教訓を含んでいるので、書き留めておくことにする。明治十九年十月。

2002年8月31日公開。