姓・号 | 土屋 鳳洲(つちや ほうしゅう) |
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生没年(享年) | 天保12年(1841)-大正15年(1926) (86歳) |
諱(いみな) | 弘(ひろし) |
字(あざな) | 伯毅(はくき) |
通称 | |
雅号 | 鳳洲(ほうしゅう) |
謚(おくりな) | |
出身地 | 和泉国(大阪府)岸和田 |
師の名 | 相馬九方 |
官職等 | 奈良師範学校長、華族女学校教授、東洋大学教授など |
代表的著作 | 皇朝言行録(9巻) 近世叢談(1冊) 晩晴楼文抄(正編3巻、第二編8巻) 近世大戦紀略(1冊) |
伝記: 鳳洲は、はじめ岸和田藩の藩校講習館で、荻生徂徠の古学を学んだ。元治元年(1864年)、長州へ遊学した際に、四外国の艦隊による下関砲撃に遭遇した。この経験は『馬関日記』(『近世叢談』に所収)に書かれている。帰途、阪谷朗廬を訪ね、森田節斎の塾にとどまって学んだ。その後、藩校講習館の教授となったが、勤皇論を唱えたため獄に繋がれている。 維新後は、堺県中属、奈良師範学校長、華族女学校教授、東洋大学教授などを歴任し、教育の振興に尽くした。堺時代には家塾「晩晴書院(晩晴塾)」を主宰した。 鳳洲の詩文はすこぶる多く、時の話題を漢文でうまく表現している。中でも『近世大戦紀略』は、日清・日露の戦闘記事と詩で構成されたもので、漢文による戦記文学の傑作である。これは日露戦争終結直後の明治39年(1906年)に出版された。 大正15年(1926年)、86歳で没。 | 2001年8月5日公開。2003年2月23日一部修正。 |