日本漢文の世界


遊墨水記現代語訳

隅田川の花見

塩谷 宕陰
 今年の春、昌平黌の選抜試験がやっと終わったので、同僚の教授たちが誘い合わせて隅田川西岸の超然楼で花見をした。この超然楼というのは松本藩の藩医・下条氏の別荘である。ところが私はたまたま歯が痛くて、行くことができなかった。数日後、その歯が抜け落ちて痛みは治まった。そこで、子供を連れて隅田川の岸辺に花見に出かけた。同僚達の花見に、締めくくりの興を添えようと思ったのだ。
 三囲(みめぐり)の里に来ると、二三本の桜の木がうれしげに迎えてくれる。
「みよしのや、桜一木にさき見せて、山口しるく匂ふ春風」
という古歌があるが、一本の桜が他を先導している様子はまさにこの歌のとおりである。そこから数百メートルも行けば、桜の樹はますます多くなり、あたり一面の花となる。左に隅田の清流が流れ、右には青い畑が広がる。対岸を見れば、浮き草や青柳の向こうに、さまざまな高さの楼閣が軒を連ねている。かの超然楼もここにある。見ると、芸者を乗せた屋形船が超然楼の下を通っている。そこで戯れに即興の詩を作っていわく。
 昨日は李白や杜甫に会い、
 今日は楊貴妃が通るを見る
 隅田川の堤防は4キロにわたって両岸が全部桜である。花のきれいな色が歩を進めるにつれて、美しさを増してゆく。遠い花は人を招き、近い花は語りかけてくる。道はところどころカーブする。始めのカーブから東北の方向へ三四回カーブして、梅寺のところで道が終わる。カーブのところで振り返って見ると、花の幕が地上を覆い、道がないのかと疑いたくなるほどだ。花の幕を押し開くようにして進んでいけば、花は白い雲が沸き起こったように、ぼんやりと果ても無く続いている。さまよっている間に、花の香りが体に染みとおり、花の精になった気分である。まもなく夕日は梢(こずえ)にかかり、しだれ柳やまばらな松の木の間から、蛾や水鳥の飛んでいるのがほのかに見える。隅田川はさらさらと流れ、水が満ちて石を鳴らす音が聞こえる。西には富士山が聳え立ち、東には筑波山の青い稜線が際立つ。まことに日本一の絶景である。先師・松崎慊堂は、かつて私にこんなことを言った。
「自分は、京都の嵐山も見たし、吉野の花も見た。しかし、隅田川の桜ほど風趣のあるところはなかったよ。」
 私もそのとおりだと思う。
 たちまち空が曇り風が舞い、花びらが乱れ飛ぶ。花見客は、さっさと引き上げてしまう。暮鐘が花の間にカンカンと鳴り渡る。私はこのとき感じた。天気には晴れと曇りがあり、花にも咲くとき・散るときがある。人間にも若年と老年とがあり、人生には栄枯盛衰がある。私自身はもはや五十七歳。歯がまたポロリと抜け落ちる老齢である。今度の試験で合格した学生たちは、ほとんどが青年男子で、前途洋洋たる国家的人材である。合格後、ますます学問に励んで才能を伸ばし、お国のために働いてくれれば、隅田川の桜とその美を競うに足るであろう。しかし、合格に満足して、その後の努力を怠るならば、散る花びらが泥になずむようなものだ。そんな輩を選抜した我我教授陣の責任は、この白髪頭を地につけて謝罪しても、償えるものではない。
 さて、この花見に行ってから数日後、超然楼で花見をした同僚たちの詩文集が出来上がったといって見せてくれた。読みながら私自身も腕をふるって文章を作りたくなってきたので、この文を書いて詩文集の巻末に載せてらうことにした。
 慶応元年二月十八日。

2006年4月10日公開。