「桜の漢文」といえばこれ、というくらい有名な文章で、戦前の中学校の漢文教科書には必ず載っていました。この文章の特徴はもちろん見事な描写にあります。まるで自分も隅田川の桜を楽しんでいるような気分になれます。
宕陰先生は、同僚たちが花見をしたとき、歯が痛くて参加できなかったのですが、その歯がポロリと抜け落ちて痛みがなくなったので、数日後に子供を連れて花見に行きます。同僚たちが花見をしたのは、隅田川西岸の別荘でしたが、宕陰先生は東岸を歩きます。
江戸時代から明治にかけて、春の隅田川は、花また花のすばらしい眺めであり、西には富士山、東には筑波山が仄見え、宕陰先生の師匠・松崎慊堂が「日本一の絶景」と、お墨付きを与えた場所でした。当時、桜のあった場所は、向島(むこうじま)と呼ばれる浅草の対岸で、前後4~5キロメートルの地帯だったようです。川には舟を浮かべて観賞する人も多く、滝廉太郎の歌曲「花」にも、当時の隅田川の賑やかな花見のようすを歌ってあります。
ところが大正期に入ると、この一帯は工場地帯になり、桜も多く枯死して、見る影もなくなってしまいました。その後、昭和初期に、「隅田川公園」として両岸とも整備されて桜の植樹が行われ、隅田川は再び桜の名所として復活しましたが、往年の風情は取り戻せないようです。
※桜の写真は2006年4月9日、神戸市の王子公園で撮影したものです。(隅田川とは関係ありませんが、イメージとして挿入してみました。)
2006年4月10日公開。