日本漢文の世界


遊墨水記語釈

墨水(ぼくすい)

東京の隅田川のこと。「すみだ」の「すみ」を「墨」としゃれて、中国の地名風にした呼び名。(ちなみに現在、川の名前の表記は「隅田川」なのに、区名は「墨田区」となっている。)隅田川の雅名は、ほかにも「墨陀」、「澄江」などがある。

今茲(ことし)

今年。慶応元年(1865年)。

考試(かうし)

試験のこと。ここでは、作者・宕陰が儒官(教授)を勤めていた昌平黌(幕府の官学)の試験。後に「合格してよろこんで、勉強しなくなるといけない」と言っているところからすると、入学試験と思われる。

(はじ)めて(をは)

「甫」はここでは「やっと」の意。やっと終わった。何日もかかって試験をしたのだと思われる。 

僚友(れういう)

同僚の友人たち。

墨西(ぼくせい)

隅田川西岸。

超然樓(てうぜんろう)

下条氏の別荘の名前。

松本(まつもと)

長野県の松本市。当時は松平家の領地であった。松本城が有名。

醫員(いゐん)

藩医。

別墅(べつしよ)

別荘。

(らつ)して

連れて

殿(でん)

締めくくりをする。「殿」は「しんがり」で、もともと軍隊退却の際の最後尾の役目のこと。友人たちの花見に同行はかなわなかったが、その締めくくりをしようということ。

三廻(みめぐり)(さと)

三囲神社周辺。このあたりは江戸時代から明治にかけて、桜の名所として賑わったが、大正時代には工業地域となり、桜が枯死して見る影もなくなった。しかし、関東大震災後の昭和初期に「隅田公園」として整備され、再び桜の名所として復活した。 

古歌(こか)

「古歌」とあるが、江戸時代前期の飛鳥井大納言雅章(あすかい・だいなごん・まさあき)の歌。
「みよしのや、桜一木にさき見せて、山口しるく匂ふ春風」

(しげ)

たくさんある。満面の桜。 

碧疇(へきちう)

緑の畑。当時は、左側の隅田川の清流に対して、右側に青青と畑が広がっていた。

映帶(えいたい)

左右の清流と碧疇が、映りあって、続いていくこと。王羲之(おう・ぎし)の『蘭亭序』に見える語。

緑蘋(りよくひん)翠楊(すいやう)

緑のうきくさと青柳。 

(おもて)

上に、ということ。

隱見(いんけん)

見え隠れしている。

游舫(いうはう)

ここでは花見の屋形船。

口占(こうぜん)

詩を即興で口ずさむこと。

李杜(りと)

李白と杜甫。昨日は、超然楼で詩文の会が催されていたので、超然楼(擬人化)は「李杜に会」った、つまり優れた詩人たちに会った。

楊妃(やうき)

楊貴妃。今日は、超然楼(擬人化)は、楊貴妃のような美人に会った。

墨堤(ぼくてい)十里(じふり)

隅田川河畔の桜は、前後一里ほど続いていた。「十里」とは、中国の里程によったもの。

淡紅(たんこう)濃白(のうはく)

桜の花の色です。

()(したが)ふて(ひと)()

一歩ごとに花の美しさが増すようだ。

少曲折(せうきよくせつ)

道が少し曲がっている。カーブ。

木母寺(もくぼじ)

向島(むこうじま)の奥にある。「梅寺」というのが正式名称ですが、「梅」の字を二つに分けて「木母寺」としゃれたものです。

回顧(くわいこ)

ここでは振り向くこと。(昔のことを思い出すことではなく)。

花幔(くわまん)

花が咲き乱れて幕のように見えること。

(くわう)として

「恍惚」に同じ。確かには見極めがたい様子。

(みち)()きかと(うたが)はる

行く手が見えない。

(はい)

押し開く。花の幕を押し開いて前進したという意。

坌涌(ふんよう)

沸き出でること。

(えう)

ぼんやりする様。遠いため、よく分からない様子。

際涯(さいがい)

はて。「際涯を見ず」の語は、宋の范仲淹の『岳陽楼記』に見える。

低回(ていくわい)(けい)

さまよう間に。「低回」はさまようこと。「徘徊」に同じ。「頃」はしばらくの間。

肌骨(きこつ)(みな)(かんば)

「肌骨」は、はだと骨ということだが、ようするに体全体。体全体が花の香りに包まれたこと。

蒼仙(さうせん)(くわ)

「蒼仙」とは春の仙人。花の香りに包まれて、桜の精に同化するというような意味。

林梢(りんせう)

木のこずえ。

落霞(らつか)

飛んでいる蛾。

飛鳧(ひふ)

飛び交う都鳥。

垂柳(すいりう)

しだれ柳。

疎松(そしよう)

まばらな松林。

閃閃(せんせん)

光線がひらめく様子をいう語。

滾滾(こんこん)

水が盛んに流れる様子。

芙蓉(ふよう)

富士山のこと。「芙蓉」とは蓮の花。富士山は火口部分が蓮の花に似ているので、芙蓉峰という。

突兀(とつこつ)萬仞(ばんじん)

高く聳えている様子。

波山(はざん)

筑波山のこと。

翠鬟(すいくわん)

青い山のこと。もともとは女子のまげ(もとどり)のことだが、山にたとえます。

宇内(うだい)

「海内」と同じ。もともとは「世界中」という意味だが、ここでは「日本中」くらいの意味。

絕觀(ぜつくわん)

絶景。

先師(せんし)

亡くなった師匠。

慊叟(かうさう)

松崎慊堂(まつざき・こうどう、1771-1844)のこと。狩谷棭斎、山梨稲川らと並ぶ考証学者で、石経学、説文学なども研究した。作者・塩谷宕陰は、慊堂門下。

京師(けいし)

京都のことだが、ここでは桜の名所・嵐山を指す。

芳山(はうざん)

奈良の吉野山。

歷覽(れきらん)

ことごとく見た。

須臾(しゆゆ)

わずかの間に。

落英(らくえい)繽紛(ひんぷん)

落ちた花びらが乱れ飛ぶ。「英」は花びらのこと。「繽紛」は散乱する様子。

匆忙(そうばう)

せわしげに。

沈沈(ちんちん)

鐘の音を写した擬音語。

悄然(せうぜん)

憂える様子。

陰霽(いんせい)

曇りと晴れ。

艾年(がいねん)(しち)(くは)

「艾年」とは五十歳。これに七を加えて、五十七歳。

齳然(ぐんぜん)

歯がポロリと抜け落ちる様子。

()

選抜する。

擧子(きよし)

推挙されて試験を受ける学生。全国から昌平黌に入ろうと入学試験に集まった学生たちのこと。

靑年(せいねん)妙齡(めうれい)

「青年」も「妙齢」も年が若い意。ただし、「妙齢」は通常女子についていう語。

邦家(はうか)(えい)

国家的人材。

一擧(いつきよ)(みづか)(よろこ)

試験に合格して有頂天になる。

頽墮(たいだ)委靡(ゐび)

気がくじけて、勉強しなくなること。「頽墮」は堕落すること。「委靡」は衰え弱って振るわない様子。

無狀(むじやう)

「亡状」に同じ。失態という意。

白首(はくしゆ)()(たた)

しらが頭を地に着けてお詫びする。

謬選(びうせん)

誤った選抜。

()

文体の一つで、叙事を主とし、叙事の後に議論を付け加えたもの。この文章も「記」である。

(しめ)さる

「見示」は通常「示さる」と訓読している。この「見」は動詞の前に用いて「我に対して」という意味を表す語。だから、「見(われ)に示す」と訓読すべきだと主張する人もいる。(西田太一郎『漢文の語法』、角川小事典23、223ページ以下を参照。)

伎癢(ぎやう)()へず

もどかしく思うこと。自分より技能の低い人たちの文章や詩を見て、自分ならこう書くのに、ともどかしく思った。

追記(つゐき)

後に書き足す。

巻尾(かんび)殿(でん)

隅田川での花見をテーマに同僚たちが作った詩文集の最後に、この文章を付け加えて、末尾を締めくくった。

慶應(けいおう)改元(かいげん)乙丑(いつちう)

慶応元年(1865年)。「改元」とは、元号が改まった年。乙丑は「きのと・うし」

花朝(くわてう)(のち)三日(みつか)

二月十八日。二月十五日を「花朝」という。花見の記なので、「二月十八日」とせず、「花朝の後三日」としゃれた。

2006年4月10日公開。