信夫 恕軒
今茲十月十七日、東京大學生徒百有餘人、舸を走らせ墨水に競漕す。蓋し平生讀書を業とし、手足を勞動せず、以て病を生ずるを恐るる也。
水面には則ち海軍兵學生徒、水上警察官吏、舳を列ねて注目し、岸上には則ち文部省書記官、大學幹事敎員、足を重ねて凝視す。
初令に曰く、「舸長は前伍の舸を發するを見れば、則ち後伍の櫓手を整束す。一也。舸長・櫓手、裝を解き服を更へ、各色帽を戴く。二也。舸長は豫め其の號次と位置とを定む。三也。前伍陸に上り、後伍舸に乘る。四也。櫓手は漕ぎて中河に到れば、必ず號砲を待ちて發す。五也。舸は必ず旋回標船に在りて位す。六也。回標・浮標の間、六歩を距てて舟路と爲す。七也。判決人は砲を發し色幟を翻して其の勝を報ず。八也。勝舸には則ち櫓手をして其の櫓頭を建てしむ。九也。競漕已に終れば、舸を岸に繋ぎ、櫓を舸に納れて上る。十也。」と。
上流・下流、相距ること凡そ四町十間、三標を三處に浮べ、以て其の位置を定む。舸は赤幟を建つる有り、白幟或は青幟を建つる有り。帽の色も亦此の如し。一舸は七人。一人は楫を執り以て指令す。六人は左右に分れて之に櫓す。
三舸位を定め、宛として水の中央に在り。皆謂へらく「一勝手に唾して取る可し。」と。神旺し氣奮ふ。須臾にして砲聲一發天に轟く。載ち令し載ち櫓す。櫓は蜈足の如く、大呼して競漕す。汰を擊ち波を破り、兔兒水を走り、巨魚江に闖し、鳥のごとく疾く箭のごとく駛し。叱叱として櫓を促す者、聲氣力を副ふる者、先には緩くして後には急なる者、始めは神速にして終りは遲滞する者、右船左船勢を爭ひ、中行の舟は飛ぶが如し。觀る者白を悦び赤を愛し、勝負未だ決せず。青幟の舸、忽ち勇を鼓して進む。砲發し幟翻り、拍手喝采の聲、江流飜覆す。勝つ者は意氣揚揚として岸に上り、直に銀の賞盃を受け、以て衆に誇詡す。盛なりと謂ふ可し。
或ひと曰く、「舸は大船也。揚子の所謂る『南楚江湘、凡そ船の大なる者、之を舸と謂ふ』、左思が『蜀都の賦』の、『弘舸舳を連ぬ』とは是也。今船甚だ大ならず。命名の義、乃ち不可なる無らん乎。」と。曰く、「否。昔者孫權舸を名づけて赤馬と爲す。駿馬の路を走るが如くなるを言へる也。然らば則ち必ずしも舟の大小に拘らず。其の神速なる者は皆之を舸と謂ふも、亦何ぞ妨げん。」と。
法學部長穗積君余に謂つて曰く、「子の文は奇氣有り。盍ぞ其の奇競を記さざる。」と。乃ち之を筆して以て奇觀と爲す。
2003年11月16日公開。