日本漢文の世界

姓・号 信夫 恕軒(しのぶ じょけん)
生没年(享年) 天保6年(1835)ー明治43年(1910) (76歳)
諱(いみな) 粲(あきら)
字(あざな) 文則(ぶんそく)
通称  
雅号 恕軒(じょけん)、天倪(てんげい)
謚(おくりな)  
出身地 鳥取県
師の名 海保漁村、芳野金陵、大槻磐渓
官職等 東京大学講師
代表的著作 恕軒漫筆(1巻)
恕軒文鈔(7巻)
恕軒詩鈔(2巻)
恕軒遺稿(2巻)
伝記:

 恕軒は二歳で父を失ったが、幼時から学を好み、海保漁村、芳野金陵、大槻磐渓について学んだ。仲でも漁村に学んだ期間が長い。特に易・詩経・左伝・史記に通じた。
 のちに東京で、奇文欣賞塾を開いて講説した。その後、明治13年から東京大学に出講し、明治16年東京大学古典講習科の講師となった。このときは、井上哲次郎なども受講している。しかし、学制改革により数年で職を解かれた。その後、近藤真琴の攻玉社に出講したり、三重県や和歌山県などの中学校教諭になったりしている。
 恕軒は弁舌に巧みで、朗読が上手だった。赤穂義士の話を得意としていた。三遊亭円朝に「牡丹燈籠」の趣向を教え、それが大当たりになったこともある。(三浦叶『明治の碩学』、汲古書院、336ページ)
 成島柳北、大沼枕山、菊池三渓、塩谷簣山、中村敬宇、川田甕江、依田学海、小永井小舟らと親交があったが、大槻如電とは仲が悪かったという。(三浦、前掲書、338ページ)
 長男・淳平は、外務省をへて早大教授(国際法)。
2003年11月16日公開。

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