死後に贈られた正四位の位。位階は、一位から八位まで、それぞれ正従があり、全部で16階あった。贈位は、死後に位を贈ること。
平氏の租で、桓武天皇の孫、葛原親王の子。はじめて姓を平氏と賜わった。
旧国名。現在の千葉県南部にあたる。
正親町(おおぎまち)天皇の時の年号。元亀は1570-1573、天正は、1573-1593。
玄蕃(げんば)は、外国使節の送迎や、僧尼の名籍をつかさどった役所。允(じょう)は、判官ともいい、公文書の審査をする官。
佐久間盛政は、織田信長の家臣で、信長の死後は柴田勝家に仕え、豊臣秀吉と戦ったが、天正11年の賤ケ岳(しずがたけ)の戦いで秀吉軍に敗れ、戦死した。玄蕃允(げんばのじょう)の官職にあったため、佐久間玄蕃とも呼ばれている。
江戸中期の年号。1688-1704。
家が取り潰しになったため、忌んで名を明かさない。
現在は長野市の一部。旧松代藩、真田氏十万石の城下町として栄えた。
祖父のこと。
父のこと。
性格、人柄。体つき・顔つきなども含まれる。
傑出していること。
眼光がするどく、射るような視線。
ここでは相対する(向き合う)こと。
すぐれた人物。
経世済民(世を治め、民をすくう)の略。明治以後、英語のeconomicsの訳語として使われたが、ここでの意味は、原義・訳語のどちらにも通ずる。
無用の反対で、役に立つこと。すなわちいわゆる「実学」であること。
余力のこと。本業以外の余技。
すぐれた詩文。(藻はきれいな水草のことで、詩の美しさをたとえる。)
易経(五経の一つ)のこと。当時は朱子学が官学で、学生は四書五経(大学・中庸・論語・孟子が四書、易・書・詩・礼・春秋が五経)を学んだ。
松代にある山の名前。佐久間の号「象山」はこのゾウ山にちなんだものなので、ゾウザンと読むべきだとする説が古くからある。
はたらき盛りの年頃。壮年。
江戸幕府の学問所(大学のようなもの)。全国から秀才が集った。
当時昌平黌の教授だった佐藤一斎(1772-1859)のこと。一斎は雅号なので、氏の前に出して書いたもの。
江川英龍(1801-1855)は、江川太郎左衛門の通称で知られている砲術家・韮山の代官。鉄製大砲の鋳造のために、韮山に反射炉を建設した。門下には、佐久間象山のほか、木戸孝允、大山巌がいる。
易の卦(か)にあらわれる現象のこと。うらかた。
なぞらえること。大砲を撃つ術を易の六十四卦になぞらえた。
奥義のこと。
両字とも「ひらく」意で、奥義をひらいて明らかにしたこと。
国運が盛んで、天下泰平であること。
いつか。あるとき。
海岸の警備。ここでは、海岸の警備が必要となるような事態、すなわち外国の侵攻のこと。
オランダの学問。当時、蘭学は科学技術・医術等の実用の学として学ばれた。
究めること。
真田幸貫(1791-1852)。第八代松代藩主。松平定信(楽翁公)の第2子。1841-1844の三年間、老中として、海防掛をつとめた。佐久間象山ら人材を育てたことでも有名。なお幸貫君の「君」の字は、明治のころは、目上の人に対して用いていた語で、相当は敬意を含んでいる。こんにち目下の人や同位の人に対して「君」づけで呼ぶのとは語感が違う。
幕府の老中職を中国風にいったもの。
金属を熱で溶かすこと。
嘉永(孝明天皇の年号)の「みずのとうし」の年。すなわち、嘉永6年(1853年)。
アメリカ使節。すなわちペリー(ペルリ)のこと。フィルモア大統領の開国を求める将軍宛ての親書をもたらした。
横須賀市にある。
貿易。外国との物品の取引。
どっちつかずで、決定できないこと。
物議というのと同じで、世間のうわさ。
騒ぎ、どよめくさま。
ひとつひとつ、箇条をたてて述べること。
安政(孝明天皇の年号)の「きのえとら」の年。すなわち安政元年(1854年)。ペリーがはじめて来た嘉永6年(1853年)の翌年にあたる。
伊豆半島南東端にある。
地形が険しく、天然の要害となっている土地。
軍隊を差し向けること。
つごうがよい。この意味のときは、「ビン biàn」と読む。
引見すること。客人を引き入れて面接すること。
福岡県にあり、小笠原氏十五万石の城下町であった。
それぞれに役目を割り当てること。
感嘆すること。
名声と人望。
朝廷と民間のこと。ここでは「天下」という意味。
時に応じた政治上のつとめ。
吉田松陰(1830-1859)のこと。彼はペリー再航のとき、門人金子重輔とともに米艦への搭乗を願い出たが、ペリーに拒まれ、幕府に逮捕された。のちに、安政の大獄で処刑された。
自白のことば。ただし、象山が連座したのは、松陰の自白によるのではなく、松陰が象山の送別の詩をもっていたからである。この送別の詩は五言古詩で、非常に有名である。
送吉田義卿
之子有靈骨。 久厭蹩躄羣。
振衣萬里道。 心事未語人。
雖則不語人。 忖度或有因。
送行出郭門、 孤鶴横秋旻。
環海何茫茫。 五洲自成鄰。
周流究形勢、 一見超百聞。
智者貴投機。 歸來須及辰。
不立非常功、 身後誰能賓。
(書き下し)
吉田義卿を送る
之の子靈骨有り。 久しく厭ふ蹩躄の羣。
衣を振ふ萬里の道。 心事未だ人に語らず。
則ち人に語らずと雖も。 忖度するに或は因有り。
行を送つて郭門を出づれば、 孤鶴秋旻に横はる。
環海何ぞ茫茫。 五洲自ら鄰と成る。
周流形勢を究めよ、 一見百聞に超ゆ。
智者は機に投ずるを貴ぶ。 歸來須く辰に及ぶべし。
非常の功を立てずんば、 身後誰か能く賓せん。
捕らえられて牢屋に入れられること。
朝廷での会議のこと。
国家の方針。
臣下の意見を聞くこと。
命令。
京都のこと。
なげくさま。
涙をはらはらと流すようす。
肥後の攘夷派、河上彦斎(1834-1871)という者。元治元年(1864年)7月に京都の三条木屋町で、象山を斬った。
死ぬこと。死ぬ意味のときは「シュッす」と読む。
「一介の士夫」とは、「一人の男」くらいの意味。
関係すること。
公論は、公平な議論。讜議は、正しい議論。
利点(Advantage)と弊害(disadvantage)。
指し示して述べること。
国を閉ざし、外国人を追い払うこと。
国を開いて、外国と交易すること。
思わぬ災難。
明治維新を指す。
「かのえとら」の年、すなわち明治23年。歳(サイ)は、歳星(木星)のことで、古代にはこの歳星の宿る方位を年の名にしていた。歳次庚寅(としはコウインにやどる)、歳在庚寅(としはコウインにあり)などの表現もある。
旧友。
費用。
彫り付けること。
羽倉簡堂(1790-1862)は、代代の幕臣で、水野忠邦に抜擢された。学問は、古賀精里に学んで、歴史に造詣が深く、著書も多くある。
人を引き入れて会うこと。
俗姓は宇都宮氏。雲渓と号し、志士たちと交わった。
大児とは、年上の賢人。小児とは年下の賢人。「大児は・・、小児は・・、余子は・・」という言い方は、後漢書(禰衡伝)にある。
浅はかで、識見が劣っていること。
優れた人に、肩を並べてついて行くこと。
学徳のすぐれた老人。
意気投合すること。意気がぴったりと合うこと。
あらまし。
さかんな名声があるようす。
口数おおく、しゃべりまくること。
ひとりの(身分の低い)男。
世界の五大洲(アジア・アフリカ・ヨーロッパ・アメリカ・オーストラリア)のこと。
おおまかにまとめる。
2001年8月26日公開。