宕陰・息軒二先生の事を紀す
西村 天囚
鹽谷宕陰・安井息軒は、同に松崎慊堂を師とす。
慊堂は學殖該博、文章贍敏にして、又書を能くす。東京の岩崎氏が静嘉堂文庫、『慊堂日記』二十餘册を藏有す。或は事を記し、或は草を起し、意に隨ひ筆に隨つて、塗抹して讀み易からず。間墨蹟を臨摹する有り。各體皆遒麗なり。其の生平字を作るを好むを知る可き也。而れども宕陰・息軒二先生は、則ち竝に書に拙きを以て聞ゆ。流傳も亦少し。
宕陰常に曰く、「予は士也。儒に非ず。」と。詩有りて云く、「死して儒林傳に入るを願はず。輕甲一聯藏して家に在り。」と。其の氣を負ふこと此の如し。固より臨池の末に屑屑たらざりし也。
息軒は慊堂の塾長と爲る。一日慊堂一法書を付與し、且つ曰く、「子は才高く學優る。他日當に名を成すべし。則ち書を索る者必ず多からん。子は字を作ること太だ拙し。今に於て書を學ばずんば、後悔及ぶ靡らん。」と。息軒師訓を服膺し、暇あらば輙ち書を學び、頗る觀る可き有り。後年精を經を治むるに專らにして、兀兀として書を著し、油を以て晷に繼ぎ、他を顧るに遑あらず。臨池の業廢して、其の書益拙し。今傳ふる所、往往工拙別手に出るが如き者有るは、蓋し此が爲なりと云ふ。
2005年3月27日公開。