日本漢文の世界


紀宕陰・息軒二先生事解説

塩谷宕陰先生筆跡 日本漢文の世界
塩谷宕陰先生筆跡

 これは、自作の「大統歌」の冒頭部分を揮毫したものです。
「天七地五。邈矣鴻荒。維神武帝。起自西疆。戡乱遏劉。駆除虎狼。奠都橿原。鎮茲萬方。」
天七地五(=天神七代、地神五代)。邈(ばく)たり鴻荒(こうこう)(=大昔のことで伝わらない)。維(こ)れ神武帝。西疆(せいきょう=西国)より起り。乱に戡(か)ち劉(りゅう=悪人ども)を遏(とど)め。虎狼を駆除し。都を橿原に奠(さだ)め。茲(こ)の萬方(ばんぽう=天下)を鎮(ちん)す。

安井息軒先生筆跡 日本漢文の世界
安井息軒先生筆跡

「水戸老公、当月五日、藤田誠之進御使(おんつかい)に而(して)、御書(ごしょ)被仰付候(おおせつけられそうろう)。隷書に而、論語の「足食足兵、民信之矣」と申(もうす)語に御座候(ござそうろう)。是(これ)は拙者上書の御挨拶と相見(あいみ)、全く上書の趣(おもむき)を御取用(おんとりもちい)、右の語を御択被下候事(おえらびくだされそうろうこと)と相見、於拙者(せっしゃにおいて)は誠に知己の君と可申候(もうすべくそうろう)。」

 塩谷宕陰、安井息軒は、幕末を代表する漢学者ですが、両先生とも、字が下手であったというのです。本当でしょうか?
 両先生の筆跡は、あまり残っていないようです。上に掲げた図版も、ずいぶん探し回った挙句、それぞれ一枚ずつしか見つからなかったものです。これらは江戸時代の文人の作としては、失礼ながら、やはり「下手」な部類に入りそうです。現代ならば、政治家などが下手な字で揮毫したがりますし、「書家」でも随分ひどい字を書く人もありますから、これくらいの字が書ければ良いほうなのですが。江戸時代の書道の水準はすこぶる高いのです。
 「書は人なり」といわれ、字は書いた人の人柄をあらわすものです。宕陰先生の字は「余は士なり。儒にあらず。」と言ったという先生の気概がこもった、激しい字です。
 息軒先生の字は、宕陰先生のような激しさはありませんが、のちに強烈なキリスト教排撃の書『弁妄』を書くことになる先生の字にも、力強い意志が感じられます。  

2005年3月27日公開。