日本漢文の世界


陶工巴律西解説

 フランス・ルネサンスの著名な科学者・陶工、ベルナール・パリシー(「パリッシー」とも。Bernard Palissy, 1510-1590)の伝記です。パリシーは、十数年もの苦心惨憺の末に、白色の釉薬(うわぐすり)を自力で作り出し、ますます精進して当代随一の名工となります。この文章は、読んで感動していただければ、それで十分であり、何の解説もいならないくらいです。
 この話は、もともと敬宇先生訳の『西国立志編』(スマイルズ原著)の中にあります(講談社学術文庫版142ページ)。『西国立志編』は、やさしい和文で訳されており、福沢諭吉の『学問のすすめ』よりも売れたと言われる、明治初年のベストセラーです。パリシーの名は、『西国立志編』の流布とともに、われわれの父祖たちの胸にきざまれました。この漢文の伝記は、敬宇先生自身、和文の訳だけでは飽きたらなくなって作られたのだと思います。
 今日では、ベルナール・パリシーの名を知る人は少ないかもしれません。しかし、単なる陶工ではなく、科学者でもあった彼の名は、記憶に値します。パリではじめて公開科学講演会を開いたのは、ほかならぬ陶工パリシーであり、その講演会には、フランシス・ベーコンも聴衆として参加していたのです。
 陶工パリシーに興味をもたれた方は、ぜひ渡辺一夫氏の『フランス・ルネサンスの人びと』(白水社・岩波文庫版もあり)を読んでみてください。渡辺先生はラブレーの訳者として有名な人です。また、佐藤和生氏が最近出された訳書、『ベルナール師匠の秘密』(ピエール・ガスカールによるパリシーの伝記、法政大学出版局)および『陶工パリシーのルネサンス博物問答』(パリシーの著書、晶文社刊)により、陶工パリシーという人物の実像を知ることができるようになったのは、たいへんありがたいことです。

2002年6月2日公開。