日本漢文の世界


陶工巴律西語釈

陶工(たうこう)

陶器を作る職人。現代風にいえば陶芸家。

巴律西(パリッシー)

6世紀フランスの陶工・科学者、ベルナール・パリシー(Bernard Palissy,1510-1590)。陶工としては、透明ガラス釉による「田園風陶器(Rustiques figulines)」が今に伝えられており、高い技術力と美術性が評価されている。科学者としては、「正しい処方箋(Recepte veritable)」「森羅万象賛(Discours admirables de la nature)」の著書がある。基督教カルヴァン派(ユグノー)であった彼は、当時の宗教戦争にまきこまれて獄死した。

法國人(はふこくじん)

フランス人。フランスを「法国」とするのは中国式。 

亜染(アゼン)

Agen。正しくは「アジャン」と発音する。フランス南部のアキテーヌ(Aquitaine)盆地にある小さな町。ロト・エ・ガロンヌ(Lot-et-Garonne)県の首都だが、人口は3万ほどしかない。パリシーの生地は、このアジャンのほか、カペル・ビロン(Capelle Biron)、サン・アヴィ(Saint Avit)、サント(Saintes)など、諸説ある。 

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巴律西(パリッシー)の略。

郷塾(きやうじゆく)

いなかの学校。

森羅萬象(しんらばんしやう)

宇宙のあらゆる現象。 

設因的(セインテ)

Saintes。サント。これもアキテーヌ盆地の小さな町。ブランデーで有名なコニャック(Cognac)の西25キロほどのところにある。パリシーはここに定住した。

玻瓈(はり)

ここではガラスのこと。ガスカールのパリシー伝『ベルナール師匠の秘密』には、「彼は町のステンドグラス製造業者に雇われた下絵師」とある(同訳書22ページ)。

(くわつ)()

生計を立てること。 

(くち)(のり)するに足らず

食うにも困るほどの貧窮生活。「餬」は、薄いかゆ。 

一日(いちじつ)

ある日。

磁杯(じはい)

磁器の杯という意味だが、このころのヨーロッパには磁器(瓷器)はまだなかった。ここでパリシーが見たのは、イタリア伝来の「マジョリカ陶器」であるとの説が有力である。(ちなみに、ヨーロッパでの磁器製造は、わが国や中国の製法をまねて、18世紀になってからやっとはじまった。)

光色(くわうしよく)

色つや。光彩色澤。 

潔白(けつぱく)

真っ白。 

五色(ごしき)

五色とは、青、黄、赤、白、黒の五つの色。 

(くすり)

うわぐすり(釉薬 イウヤク yòu yào)のこと。 

(こころみ)()

試験してみること。

蕩盡(たうじん)

すっかり使い果たすこと。

綵色(さいしよく)

五色のきれいな色。

經騐(けいけん)

「経験」に同じ。

四時(しじ)

ここでは「四時間」という意。春夏秋冬の四時(シイジ)ではない。

鎔和(ようわ)

(うわぐすりが)溶けて混じること。

狂喜(きやうき)

おどりあがって喜ぶこと。

(かはら)

ここでは煉瓦のこと。

(つち)()

「埴」は粘土。音は「ショク(チ) zhí」。「埏埴」は老子(第十一章)の語で、ふつうは「ショク(チ)をウつ」と訓読しているが、要するに粘土を捏ねることなので、このように訓読した。

薪柴(しんさい)

たきぎ。燃料として使うために、木を適当な大きさに切ったもの。「柴」には「たきぎにするための雑木や枯れ枝」という意味がある。

百物(ひやくぶつ)備辦(びべん)

いろいろな物をあらかじめ取り揃えた。「備辦」の「辦」は「辨」でも可。

火候(くわこう)

火加減。

目睫(もくせふ)をを(まじ)へず

一睡もしないこと。原文は「不交目睫」だが、「目不交睫(メ、セフをマジへず)」とすることもある。「睫」は「まつげ」。

(なう)

さいふ。

虧空(きくう)

お金がまったくなくなること。負債のことも「虧空」という。

妻子(さいし)

パリシーには、子だくさんだった。(6人の子供が「回虫」のために死んだ。3人の息子と3人の娘が成人したと推定されている。2人の息子は、パリシーの助手となった。)ガスカールは、「彼の妻の気難しい性格は、これら相次ぐ近親の死によってではないにせよ、少なくとも絶え間ない出産によって、おそらくその説明がつく。」(『ベルナール師匠の秘密』177ページ)としている。しかし、この妻は、一家が裕福になったあとも気難しさが消えなかったため、後年別居となった。(同書221ページ。)

籬墻(りしやう)

かきね。「籬」は、竹や木の枝を編んでつくった柵。「墻」は石や煉瓦でつくった障壁。

摧裂(さいれつ)(こゑ)

ものを壊す(大きな)音。

椅卓(いたく)

椅子や机。

廚裡(ちうり)

廚(台所)の裡(なか)。

庋架(きか)

たな。

號哭(がうこく)

大声で泣くこと。

四隣(しりん)

隣近所の人びと。「四」とは前・後・左・右の家のこと。

(これ)(もつ)

「以是(これをもって)」は、「このことにより」、「是以(ここをもって)」は、「そのため(理由を示す)」。別の語として訓み分けている。

棕色(そうしよく)

棕櫚(しゅろ)の木の毛のような褐色。

(かめ)

「缸(カウ gāng)」とは、「かめ」のこと。

滑澤(かつたく)

なめらかな光沢があること。

(かんが)みる()

鑑(かがみ)のように、顔が映るほどだ。

酒家(しゆか)

酒場または酒屋。酒家の翁とは、その主人。

(きう)

貧窮。

寄食(きしよく)

居候をさせてもらうこと。(パリシーの『森羅万象賛』によると、「つけのきく居酒屋」で食事をさせてもらっていたのは、パリシー自身ではなく、下働きに雇った陶工だった。)

粗品(そひん)

そまつな品物。

刻苦(こつく)

苦しみに耐えて努力すること。

一蹶(いつけつ)一進(いつしん)

つまずいたり、すすんだりする。

妙境(めうきやう)

すばらしい境地。

十有八年(じふいうはちねん)

パリシーの『森羅万象賛』では、「十五、六年」となっている。

艱難(かんなん)苦楚(くそ)

「艱難」も「苦楚」も、困難・苦しみのこと。

(はじ)め云云

この部分は、パリシーの有名な著作『森羅万象賛(Discours admirables)』の第10章、「陶芸について」からの引用。パリシーのこの苦心談は、フランスの小学校での諳唱課題となっていて、知らない人はないということである。

(をく)

蓋い(おおい)のこと。

沾濕(てんしふ)

ぬれること。「濕 (shī)」は「シツ」ではなく「シフ」が正しい漢音。

渾身(こんしん)

からだ全体。全身。

踸踔(ちんたく)

あしもとがフラフラと定まらないようす。

匍匐(ほふく)

よつんばいになって這って行くこと。

狗吠(こうはい)猫嘷(べうかう)

犬や猫の鳴き声。(「狗吠」は「クバイ」とも読む。)普通には「鶏鳴狗吠」とする。パリシーの『森羅万象賛』では、「ふくろうが鳴いたり、犬が吠えたり」となっている。

癙思(そし)泣血(きふけつ)

「癙思」は「癙憂」ともいい、今でいう鬱病のこと。「泣血」は非常に悲しみなげくこと。

圖畫(づぐわ)

絵を画くこと。「ヅ」は呉音。法律用語のときだけ漢音で「トグヮ」と読む。

蘊奧(うんあう)

技芸のおくふかいところ。奥義。

究極(きうきよく)

きわめつくすこと。

本草(ほんざう)

ここでは、博物学のこと。(中国の本草学は、薬学を中心として、植物・動物・鉱物を研究する学問。)

(わん)(てふ)(かう)(をう)

「椀」は小鉢、「碟」は小皿、「缸」「瓮」はかめ。要するに、あらゆる陶器という意。

(しよう)

ほめたたえること。

巨擘(きよはく)

傑出した人物。

(さん)(いは)

「賛に曰く」、「外史氏曰く」などとして、史伝の末尾に加えられる評論を「論賛」という。

敎法(けうはふ)(ごく)

当時フランスでは、基督教のカルヴァン派(ユグノー)と旧派の間で、何度も宗教戦争があり、悪名高いサン・バルテルミーの虐殺が行われるなど、大混乱になった。パリシーは、有力な庇護者(アンヌ・ド・モンモランシー将軍や、カトリーヌ・ド・メディティ太后)があったために被害を免れていたが、晩年にはこれら庇護者に先立たれている。

1588年、国王アンリ三世によって、旧派の首魁アンリ・ド・ギュイズの暗殺が行われると、ギュイズ傘下の急進団体であるラ・リーグ(神聖同盟)の「16人会」がパリを制圧し、ユグノーに対して見せしめ的な制裁を行うようになった。こうした混乱のなかで、高名なユグノーであったパリシーも捕らえられた。 

囹圄(れいぎよ)

牢屋。ここでは、バスチーユ(Bastille)監獄。 

法國王(はふこくわう)

アンリ三世。同時代の詩人ドービニェ(d’Aubigne)は、『悲愴曲(Les Tragiques)』の中に、国王アンリ三世がパリシーに会う場面を描いてあるが、ガスカールはこれを「純粋に想像上の場面」としている。なぜなら、「パリシーが逮捕されるとき、アンリ三世はしばらく前からパリを離れていた」からだという。(『ベルナール師匠の秘密』306ページ)

(いた)

「寘(シ zhì)」は、安置する、捨て置く等の意味のほか、「致す」という意味がある。

(ゐん)せり

「殞(ヰン yŭn)」は、「死ぬ」という意味。当時パリはアンリ四世軍の包囲を受け、市民は未曾有の飢餓に苦しみきっていた。監獄もひどい状態で、パリシーも餓死したといわれる。彼は当初公開処刑(火刑)になるはずだったが、80歳という高齢の陶芸家・科学者に対する配慮から裁判は故意に長引かされ、ついに獄死した。 

(ひと)にして云云

論語子路第十三の語。「子曰く、南人(なんじん)言へる有り。曰く、人にして恒(つね)無くんば、以て巫醫(ふい)と作(な)るべからず。」云云とある。この解釈は、「恒」とは孟子のいわゆる恒心であり、常に変わらない志のこと。この恒心のないひとは、巫醫(=まじないで病気を治す、インチキな医者)にさえもなりえない。(朱子の解釈による。)鄭玄注による場合は、「以て巫醫(ふい)を作(な)すべからず。」とよんで、「そんな者は医者にも治せない」意に解する。

冠絶(くわんぜつ)

もっとも優れていること。右に出るものがないこと。

2002年6月2日公開。