日本漢文の世界

姓・号 中村 敬宇(なかむら けいう)
生没年(享年) 天保3年(1832)-明治24年(1891) (60歳)
諱(いみな) 正直(まさなお)
字(あざな)  
通称 敬輔(けいすけ)
雅号 敬宇(けいう)
謚(おくりな)  
出身地 江戸
師の名 佐藤一斎、塩谷宕陰など
官職等 幕府儒官、東大教授、文学博士
代表的著作 西国立志編(スマイルズ原著『自助論』の訳。講談社学術文庫527)
自由之理(J.S.ミル『自由論』の訳。日本評論新社「明治文化全集第2巻 自由民権篇」所収)
敬宇詩集
敬宇文集(16巻)
伝記:

 敬宇は幕府旗本の子で、幼少より天才を示し、10歳にして昌平黌の素読吟味で銀三枚の賞を受けている。蘭学や英学にも興味を持ち、漢学のかたわらこっそりと勉強を続けた。31歳で昌平黌の「御儒者」(教授)に異例の若さで就任した。
 慶應2年、幕府の英国留学生派遣に、学生監督として同行した。しかし、1年あまりで幕府が崩壊し、急遽帰国しなければならなくなる。別れに際して英国の友人フリーランドにスマイルズの『自助論』を贈られ、これを帰国の船中で読んで非常な感銘を受けた。
 帰国後、この『自助論』をやさしい和文で翻訳し、『西国立志編』と題して発売したところ、注文が殺到し、福沢諭吉の『学問のすすめ』と並ぶ、大ベストセラー・ロングセラーとなった。(この訳は、講談社学術文庫に入っており、現在でも容易に入手できる。今日読んでも十分おもしろい読み物である。)
 その後、東大教授などを務め、私塾同人社を開設。同人社は、一時は慶應義塾と並び称されるほど栄えた。
 星新一氏の『明治の人物誌』(新潮文庫)の冒頭に収められた評伝は、星氏の父親ら『西国立志編』に影響を受けた人びとの思いもとらえた優れた伝記である。
2002年1月14日公開。

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